ストレス軽減のためのライフハック

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はじめに

みなさん趣味はありますか。衣食住を満たすことで人は生きていけますが、それを叶えるにはあまりにもたくさんのストレスが待ち受けています。そこで趣味です。このストレスを軽減する方法を見つければ毎日がずっと楽になります。しかし、近頃の若者にお話を聞くと「私、無趣味なんです」という方がとっても多いんですね。それではこの先、どこかで生きることが辛くなって耐えきれなくなり、夜の公園でオナニーに勤しむような大人になってしまいます。

 

そこで!この記事では私がここ最近ハマっているとある趣味を紹介します。私はこの趣味を始めてからおっぱいがワンカップ大きくなりました。それでは…

 

まず、女子高生になりましょう。

 

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ぼくは〇〇高校の女子生徒!学年は2年生!先輩も後輩も大好きな女バレ部員!

 

あーあ、月曜はいっつも練習が長引いちゃう。帰りの電車の中、徐ろにTwitterを開いて…

 

  • 特定の高校名でリストを作成しましょう
  • その高校の女子生徒のアカウントを探しましょう
  • 特定の高校名で検索しましょう
  • 高校名では中々ヒットしない場合「女バレ」のような部活キーワードを駆使しましょう
  • 1人見つけたら、そのアカウントのフォロー、フォロワーからクラスメイトや先輩後輩を探しましょう
  • 見つけた同校の女子生徒を片っ端からリストに登録しましょう

 

はい!これであなたも立派な女子高生です!

リストをご覧ください。そこには疑う余地のない女子高生たちの日常が流れています。

 

あ、りさちゃん今日はヤバTのライブ見に行ってるんだ〜。かおり先輩は部活後に塾かあ、受験生だもんね…そうだ明日英語の小テストだった!ゆらちゃんありがとっ!

 

少女たちの無垢なエネルギーやざらついた悪意や眩しい笑顔を眺めていると自然と生きる元気が湧いてきます。生と性の力が満ち満ちて家に着いたあと見ず知らずのゆらちゃんで抜きます。ああ!ゆらちゃんっ!

 

いけません。僕は女子高生…クラスメイトで抜くなんて…いや…これはもはや…

 

 

百合。

 

初めのうちはそんな風に、女子高生の生活を覗き見ているような背徳感が身体にまとわりつき続けます。しかし、1ヶ月ほど続けていると突然心に変化が訪れます。

 

通勤時間に女子高生のタイムラインを眺める行為を続けているうちに、だんだんと自分が女子高生であることを疑わなくなります。朝、何度か女性専用車両に乗り間違えそうになって、事の深刻さを思い知ります。

 

しかしもう手遅れ。あなたは女子高生になってしまったのです。

 

土日になるとタイムラインの流れが緩やかになってしまい、寂しくなって高校へ足を運びます。見慣れた校舎。砂埃のひどいグラウンド。体育館から響くかおり先輩のハキハキした号令。吹奏楽部のゆきちゃんとさやかちゃんが校門を出ていくので、その5mくらい後ろを付いていきます。駅で手を振って別れた後、胸がぎゅっと締め付けられるような切なさに襲われます。早く月曜日が来ないかな…みんなに会いたいな…

 

はいこれ!

友達に会いたくて月曜が待ちきれない女子高生のそれ!

 

こうなってしまえばもう怖いものはありません。あんなに嫌だった月曜日が待ち遠しいなんて。(ただし警察が怖い)

 

若い子達のキラキラにあてられて、いつのまにかあなたも女子高生のビラビラなど気にもせず、健やかな毎日を過ごし始めているのです。また、大人になると流行りに疎くなってしまいがちですが、女子高生の日常と触れ合う事でとても流行りに敏感になります。ああ、今こんなバンドが売れてるんだ。どれどれこの漫画が面白いのか。ふんふん今年の洋服のトレンドはこれだよね〜。

 

新しいものを取り込むということ、それも無意識のうちに新しいものに自然と触れ合う環境に身を置くことが、こんなにも健やかな心を育てるなんて。この頃からぼくはブラジャーを通販で買うようになっていました。

 

季節にも敏感になります。6月には体育祭を見に行き、8月は海で遊ぶみんなのアイスクリームを食べる姿にフェラチオを重ね、9月に部活を引退した先輩たちにプレゼントを渡し、12月にはクリスマスやバレンタインに向けた恋バナに花を咲かせ、2月はりさちゃんが作った雪だるまを探し出して精液をかけ、そして…

 

別れの季節。

 

かおり先輩の卒業姿を見てグジュグジュに涙を流しながらぼくは、ぼくは…

 

そっとリストからかおり先輩を外した。

 

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でもだいじょーぶ!次は1年生が入ってくるよ!(^_^)

 

 

 

あと1年の高校生活を今は毎日毎日噛み締めなが暮らしています。来年卒業したら、次はまた別の高校に入学しようと思います。

 

 

【松尾芭蕉】引退緊急インタビュー

2018年5月14日。突然の引退宣言を行った俳性、松尾 芭蕉 (@MatsuwoBaseu) | Twitter。惜しまれながらも引退した彼に緊急インタビューを行った。

 

「次の千句を、詠める気がしなかった」

 - まず、2014年末から約3年間半の活動、お疲れ様でした。

松尾:ありがとうございます。

 - 率直に、今の心境は。

松尾:今は…やりきった、と思っていますね。

 - 惜しまれる声も多く見られました。

松尾:申し訳ない気持ちもありつつ、感謝の気持ちが強いです。皆さんのお陰でここまで続けてこられました。

 - 引退のきっかけはなんだったのでしょう。

松尾:色々とあるのですが、1,000作品目という大台が見えてきたときに、もう次の千句を、詠める気がしなかったんです。キリも良かったのでここで終わりにしようと、そう思いました。

 - 最後の作品にはどんな想いを。

松尾:特にコメントはありません。

 

「そのうちアカウントも削除しようと思って」

 - 過去にも引退宣言がありました。今回もやめるやめる詐欺だろうとの声もありますが。

松尾:今回は、本当にこれで。終わりです。

 - もう一句を詠むことはないと。

松尾:正直に言えば、一句を詠むことはもうほとんど無意識のうちに行われていて。なので、どこかで歌を詠むことはあるかもしれません。ただ、松尾芭蕉としての活動は終わりです。

 - 要するに、松尾芭蕉としてはもう一句を詠まないということですか。

松尾:そうですね。そのうちアカウントも削除しようと思っています。

 - そうなんですか!

松尾:Twitterって過去の投稿を遡りづらいんですよね。作品以外のツイートは全部ツイ消ししているんですが、初期の作品なんかもう自分でも見に行けなくって。作品自体には思い入れがあるので、何か別の形で残せたらと考えています。

 - その構想もすでにあるのでしょうか。

松尾:いえ、今は特に何も。

 

「たぶん、キモすぎたんだろうな、と」

 - アカウントが消えてしまうのは寂しいですね。以前、アルファツイッタラーになりたい、1万フォロワーも夢じゃない、といった発言もありました。

松尾:結果的には、夢は夢のまま、でしたね。

 - どんな努力をされていたんですか。

松尾:作品の質はもちろん、バズっているツイートに便乗したり、トレンド取り込んだり、リクエストに応えたり。結構汚い手も使っていました。

 - 周囲からの期待もあったと思います。叶えられなかった理由に、何か心当たりはありますか。

松尾:それは自分でもよく考えるんですけど…たぶん、キモすぎたんだろうな、と思います。

 - キモすぎて広く受け入れてもらえなかった、と。

松尾:知人にリムーブされたり、はよくありましたし、きっと多くの方はリムーブせずともミュートしているのかなって。悲しいですけど、たぶんこれが現実で。

 - 最も伸びた作品も、150いいね止まりだったんですね。

松尾:ダサいですよね(笑)。これが私の実力だった、ということです。

 

「この作品は、他に詠める人はいなかった」

 - 長い活動のなか、一番辛かったことはなんでしょう。

松尾:575調の、バズっているツイートですね。なんで私は、なんでこの作品が。そんな醜い羨望が溢れかえってしまうことが何度かありました。

 - 逆に嬉しかったことは。

松尾:コメントをもらえたこと、ですね。そもそも誰が見てくれているんだか分からない状況で、コメントをもらえるのは本当に嬉しかったです。

 - 1,000もの作品があるわけですが、お気に入りの作品はありますか。

松尾:たくさんあります。中でも「ワレワレハ ワレメナメナメ ハメハメダ」という宇宙人の一句。この作品は、他に詠める人はいなかった、私だけが生み出すことのできた作品だと今でも思っています。

 - 今後は何か別の活動をされるのでしょうか。

松尾:今は本当に何も考えられなくって。この茶番みたいな自問自答インタビューを書くのが精一杯ですね。

 - なるほど。最後に、応援していた皆さんに何かありますか。

松尾:最後はやはり一句で締めましょう。

ロリ巨乳 パイパンクンニ 夢の味

 - ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました。

 

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)は、平成の俳性。Twitter出身。恥語を駆使して色欲を詠む新たな歌詠みを確立。作品「奥の細い膣」はたった一部のみの発刊。幻の作品となっている。

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ラッパのこと

ラッパを吹かなくなって、かれこれ二年間が経つ。先日見たとき、ケースは埃を被るどころかカビていて開けようとも思えなかった。

ラッパとは言わずもがな、トランペットのことだ。そしてそれは、僕にとって今やほとんどトラウマそのものだったりする。

中学生になる頃、僕の中では空前のギターブームが来ていた。絶対に軽音楽部に入ろうと思っていて、学校を選ぶ時も軽音楽部があることを決め手にしていたくらいだった。通っていた中高一貫校には中庭のようなものがあって、入学して間もない頃にそこで軽音楽部(正しくは軽音楽研究会だった)の新歓ライブが催されたのだが、あの時の衝撃は今でも忘れられない。僕の知っている軽音楽とは多くてもせいぜい5, 6人体制だったのだけれど、なんと十数名がぞろぞろと出てくるのである。あろうことか、そのうちの半数以上が管楽器を持っている。なんだこれは、と思ったのもつかの間、演奏される曲にあっという間に魅了されてしまった。聴いたことも無いような曲なのに、心が踊った。

あとから、それがビッグバンドジャズと呼ばれるものだと知った。

ライブ後、この学校の軽音が僕の知っている軽音ではないことを理解したにも関わらず、僕は軽音に入ることをより固く決心した。もちろんギター志望で行ったのだが、人員の関係などなどからラッパを吹くことになった。そのこと自体は、自分の中で案外に容易く折り合いをつけられた。というのも、ライブでより魅了的だったのはどちらかというと管楽器隊だったからだ。

それから六年間、平日のほとんど毎日ラッパを吹いていた。訳あって最初の一年間はあまり顔を出せなかったから、低く見積もると五年間くらいになるかもしれない。それでも僕にとって軽音とは中高時代そのもの、と言っても過言ではない。つまらない言葉で表せば、楽しい思い出も嫌な思い出も、ほとんど軽音にまつわることだったりする。

そして、嫌な思い出というのは、年月が経ってもなかなか褪せてはくれない。

高学年になるにつれて、ラッパ隊の高音パート、つまりは主旋律を任されることが多くなった。ラッパを吹いたことがある人なら分かるかもしれないが、高い音を吹くというのは結構難しい。上級者であれば話は違うのだろうけれど、その日の調子、コンディションに左右されてうまく吹けなくなってしまったりする。力んでいたりすると、途端に鳴らなくなる。

僕は、演奏会に調子を合わせることがうんとダメだった。そもそもあがり症で、練習ではできることが本番ではできなくなる。緊張からくる身体の硬直で楽器が鳴らなくなってしまう。手先は冷たくなって指が回らなくなる。加えて、口唇ヘルペス持ちのため、本番近く練習が佳境に入ってくると疲れから唇に水ぶくれができる。これができるとちっとも唇が震えなくなり、高音どころかチューニングの音すら吹けなくなってしまう。

分かっている。他人から言わせればそれは、単に練習不足、体調管理不足だ。お前の自業自得なのだ。

主旋律を任されることが多くなってからも、これは治らなかった。主旋律の無い音楽は最悪だ。僕ひとりが吹けないことで、みんなが心身削って作り上げて来た演奏会を駄目にする。僕のせいで、みんなが嫌な思いをする。それは、自業自得と分かっていても、この上ない苦痛だった。

大学に入ってからビッグバンドジャズはやめて、少人数のコンボ編成のジャズを演奏するサークルに入った。ビッグバンドジャズとは異なりアドリブがメインになるコンボ編成のジャズは、自分にとって憧れだった。アドリブで頭の中に鳴っている音を自在に演奏できたら楽しいだろうなあ、と思っていた。

でも、ジャズは自分が思っていたよりずっと難しかった。ビッグバンドジャズをやっていた六年間、譜面に起こされた音符を追っていただけの僕はほとんど素人みたいなものだった。慣れないアドリブを、下手くそなラッパで吹けるはずがなかった。

少人数で演奏するジャズは、否が応でも周りのレベルが目に見えてしまう。同期にも先輩にもすごい人がたくさんいた。周りからもっと学んで、積極的に参加していれば憧れに近づけたのかもしれない。どうしてか、僕はその憧れを自身の活力に変えることができなかった。

どうして自分は頑張れないんだろう。自分はラッパもジャズも、実は好きではないんじゃないか。そんなことを考えているうちに、ラッパを吹かなくなり、ジャズも聴かなくなった。

ラッパを吹いていた。ジャズをやっていた。他人にこの話をするとき、自分を大きく見せてしまったようなバツの悪さを感じる。ラッパを吹いていた十年間は、楽しかった思い出だけがどんどん蒸発してしまって、暗い思い出だけが重みを増していく。

今朝も、ラッパを吹く夢を見た。舞台の上に立って、必死になって息を吹きこんで、それなのに音が鳴らせない夢だった。一、二ヶ月に一度こんな夢を見る。

辛くなるだけだからもうラッパのこともジャズのことも考えたくない。そう思うのに、喫茶店やレストランでふと聞きなじみのあるジャズの曲が流れたとき、楽器屋でトランペットを見たとき、とくんと胸が跳ね上がってしまって、やりようのない寂しさを感じたりするのだった。


p.s. 定期演奏会、行かなくてごめんなさい

enq初MV「ネクロポリスの残香」

本業は何なんですか?とよく尋ねられるのですが、バンドマンです。副業で俳句を詠んだりします。松尾芭蕉です。

enq というバンドで初のミュージックビデオを作りました。

【enq初MV「ネクロポリスの残香」】
【MV】ネクロポリスの残香 / enq - YouTube

これがバンドにとって何か良いキッカケになって欲しいと切に願っています。TwitterリツイートでもFacebookのシェアでも口コミでもなんでも良いです。とにかく多くの人に、届け、届け、という想いでいます。


私は個人で俳句を詠んだり、ソロ名義のstudio molで楽曲公開をしていたりしますが、実のところそれら全てが売名行為です。なんとか目に留まれたら、バンドのことも知ってもらえるんじゃないか。ソロ曲で面白がってもらえたら、バンドも聴いてみてもらえるんじゃないか。そんなずるいことをいつも考えています。

私も、そしてバンドも、自分たち自身のために楽曲を作って演奏しています。でもそれが、不意に誰かの心を揺らしてしまう瞬間を信じていたりして、だからこそ音楽を続けています。こうしてミュージックビデオを公開するのもそのためです。

例えばあなたのTwitterアカウントのフォロワーが100人だとして、あなたがこのミュージックビデオに言及してくれたら、100人の目に留まる可能性があります。その中のフォロワー100人の10人がリツイートしてくれたら、1,000人に見てもらえる可能性があります。それがさらに続いたら。そんな奇跡みたいなことを信じています。そして、それを叶えられるのはあなたです。

もちろん、この曲が少しもあなたの心に響かなければ無視して頂いて良いのです。ただ、少しでも何か感じるところがあったのなら、どうか、私たちに夢を見させてもらえないでしょうか。

最後に改めてミュージックビデオを載せておきます。enqというバンドを、宜しくお願い致します。

【enq初MV「ネクロポリスの残香」】
【MV】ネクロポリスの残香 / enq - YouTube

断捨離で捨てられたのは

断捨離を、した。

先週の日曜は夕方まで予定がなく、生活しているうちに自ずと増えたものを眺めてげんなりし、昼頃からいらないものを捨てることにした。

ものを捨てるとスッキリするという感覚を僕は昔から持ちあわせていなかった。むしろ頭の中にもやもやが残り続けて精神的に疲弊してしまう。宇宙空間みたいに生活空間が広がり続けてくれるなら、できれば何も捨てたくないくらいだ。

整理するとき捨てるか捨てないかの基準は人によって異なると思う。その基準は僕の場合、自分がそのものの存在を忘れているか否かだ。ある程度の期間そのものの存在のことを考えなかったか否か、の方がより言い当てているかもしれない。もちろん、考えなかったとしても捨ててはいけない大事な書類なんかは例外扱いになる。

最初に手をつけたのは、学生時代のノートやルーズリーフからだった。もう数年間読み返していないし、今後も読み返すことは考えられない。捨ててしまってなんの問題もないことは明白だ。しかし、先ほど述べたように大事な書類などを誤って捨てないよう、そういったものが挟まっていないか念のためにざっと目を通す。

ノートやルーズリーフには丁寧な字で書かれた板書の写しや、書き殴られた計算式や、眠さでふにゃふにゃになった英文や、得体の知れない落書きや、友人との筆談や、その他僕の記憶の奥底にかろうじてあるかないかの思い出の記録が残されていた。そして、それらが全て僕自身にまつわるものであることは疑いようもなかった。それらをビニール紐でまとめては、深いため息をついた。

ものを捨てることは、過去を捨てることにほとんど等しいと思う。人は忘れていく生き物だから、過去の全てをくまなく覚えていることは不可能だ。それが他人のことならなおさらだ。ものは、その過去を思い出すきっかけになる。人生が大長編の一冊の本だとするならば、ものはその本の中の付箋みたいなものだと思う。二度と開かれるはずのなかったページが、その付箋をきっかけに開かれる。そこには、長い物語の中のワンシーンが眠っている。ものを捨ててしまえば、付箋を外してしまえば、そのワンシーンは永遠に闇の中だ。

忘れてしまった過去に意味がないとは思わないけれど、そうやってものを、過去を捨てるとき、僕は過去の自分を否定しているような気持ちになってしまう。作り上げた砂の城を自分の手で壊すような。

次に僕は教科書や参考書を捨てた。もう二度と読まないだろうから。それぞれで先生の顔を思い出しながら。ちっとも面白くない授業をしていた先生や、酷く怒られたことのある先生や、僕のことをよく気にかけてくれていた先生や、それら全部の思い出を捨てた。

次に僕は大量の楽譜を捨てた。もう二度と弾かないだろうから。好きだった子と演奏した曲や、あるバンドを好きになったきっかけの曲や、思い切って楽譜に起こしたオリジナルの曲や、それら全部の思い出を捨てた。本当にもう二度と弾かれることはなくなってしまった。

そうやって削ぎ落としていくほどに、自分自身が消えていくような気がした。こんな風に人間は、誰の記憶からも消えていくのかと思った。

スッキリした部屋の中で、スッキリしない頭を抱えて吸う煙草は、いつもより苦い味がした。

2017年9, 10月の総評

人気の一句

例に漏れず9月分をサボっていましたので、二ヶ月分の総評を行いたいと思います。



今月はこちらが一番人気でしたね。個人的にはそこまでの奥ゆかしさは無いかと思っていました。「同情するなら金をくれ!」で有名な安達祐実さんの声で再生されることで、この一句が貧乳に苦しむ皆さんの胸を打ったのでしょう。僕は貧乳も、好き、ですよ。

お気に入りの一句

それでは私のお気に入りの一句を紹介していきます。



我ながら良いですね。声に出して読みたい日本語です。ホエルオーというのはポケモンのクジラのキャラクターです。

金はイケメンほどにモノを言う、とのことわざがあります。ホテル王が抜けば女性はイチコロ。ホエルオーのように潮を吹いてしまうわけですね。ホテル王とホエルオーの語呂の良さは発明的と言っても過言ではありません。



トラウマになりそうな情景を、あえて滑稽に描いた一句です。パパラッチと言う単語が独特のひょうきんな雰囲気を醸し出していて好きです。



メヌエットの意味を皆さんご存知でしょうか。フランスの民族舞踊に端を発する四分の三拍子の舞踊曲を意味したりします。

さて皆さん、ちんぽっぽ、とつぶやいてみてください。次に、ちんぽっぽ、ちんぽっぽ、とつぶやいてみてください。お分かりいただけますか。人はちんぽっぽ、ちんぽっぽと呟くとき、自然と四分の三拍子でこれを読んでしまうのです。そうです、ちんぽっぽはメヌエットなのです。



皮肉の富んだ風刺の一句ですね。聖職者と生殖者が同音異義語であることは言わずもがなです。

https://www.google.co.jp/amp/ryotaroneko.ti-da.net/a9922016.html
上記URLの記事から一部抜粋をします。

オーストラリア教会の聖職者の性犯罪調査王立委員会は今年初めに暫定報告を公表したが、それによると、オーストラリア教会で1950年から2010年の間、少なくとも7%の聖職者が未成年者への性的虐待で告訴されている。身元が確認された件数だけで1880人の聖職者の名前が挙げられている。

すなわち、100人の神父がいたらそのうち7人が未成年者への性的虐待を犯している

(1)聖職者が結婚できる教会では性犯罪は少ない一方、聖職者の独身制を強いるカトリック教会では性的に未熟な若い神父たちが自分より幼い未成年者に性的犯行に走るケースが多い。すなわち、聖職者の性犯罪とその独身制には密接な関連がある。

(2)カトリック教会が経営する孤児院や養護施設などが性犯罪を誘発する組織的背景となっている。カトリック教会は世界約9800カ所に孤児院、養護施設などを経営しているが、それらの施設に保護される未成年者は聖職者の性犯罪の犠牲となる危険性が高い。経営側の教会はその点について余り自覚していない。

上述の通り、実は聖職者の性犯罪は現代でも問題として取り上げられることのあるテーマなのです。もっと昔、中世ヨーロッパで政治的な権力を握っていたキリスト教徒の皆さんは今以上に好き放題やらかしていたことでしょう。このような背景を知っているとよりグッとくる一句になるかと思います。



フェラず口ってなんだよと思われたかもしれません。ふぇらずろ、ではありませんよ。「減らず口を叩く」の慣用句にかけた造語になります。フェラず口を叩く女性に無理やりちんぽっぽを咥えさせる情景を描いた一句で、強がりながらも結局は男性有利になってしまいちんぽっぽを咥えさせられた女性が脳裏に浮かび性的嗜好がビンビンに刺激されます。



あまり伝わっていなかったようですが、白髪減んない、の部分がとある有名な男色家の名前に引っかかっています。

このヒントでもしっくりこない方は「発明家 男色家」でGoogle検索してみて下さい。



この一句、最高だと思いませんか?そうでもないですか?そうですか。

リップサービスの意味は「耳当たりのよいことば。口先だけのお世辞」といったようなものです。つまり「奥当たるっ///❤️」なんて言いながら奥に当たっちゃいないわけですね。男を喜ばせるための狡猾なリップサービスと言うことです。

この一句の良いところは、上五の「おまんこ」が実は中七の「リップサービス」にかかっているというところです。そうです、おまんこといえば陰唇ですね。そうなんです、「唇」なんです。「奥当たるっ///❤️」と発言しているのは実のところ、おまんこそのものだったのです。

おわりに

たいした数を詠んでいない二ヶ月でしたが、意外と思い入れのある一句が多かったですね。ここのところスランプで全く詠めていませんが、おまんこのように温かく受け入れていただければ幸いです。

村本大輔の「選挙に行かなかった」宣言は、許されない

とりあえず、こちらのツイートを見て欲しい。

https://twitter.com/wrhmuramoto/status/922331151452160000

これを見て大抵の人は、おいおい何を言っているんだ、と思うはずだ。これほどまでに恥ずかしい発言はなかなか見られたものじゃない。声を大にしてこんなことを言うなんて、炎上を狙った釣りなんじゃないかと思わずにはいられないほどだ。しかし、釣りだとしても、どんな意図があったとしてもこの発言は許されるものではない。チラシの裏に書いているならまだいい。現時点で数千ものRTがあり、幾万人もの人の目に触れるような発言力のあるアカウントがこれを発信したことの罪は相当に重い。

無投票は抗議にはならない

リプライ欄にいくつも同様の指摘があるが「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」というフレーズの恥ずかしさは飛び抜けている。

無投票や白紙票は、残念ながら抗議の意味を持たない。それはあなたが日本国民として何も意見を持っていないと主張するのと同じだ。もっと言えば、私は投票に行った人たちの多数派の意見に同調しますと主張しているだけだ。選挙に行かなかった人間に、政治批判をする権利はないと批判されるのはそのためだ。

「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と本当に考えているなら、それは政治や選挙に興味がない人間よりずっとタチが悪い。この方に政治批判をする権利があるかどうかということは、実のところ全くどうでもいい問題だ。そんなことよりずっと問題なのは、発言力のある人間がこれを言うことでそうだと思い込んでしまう人たちが少なからずいると言うことだ。政治に興味がない、選挙に行かない人たちの中にはそのことに後ろめたさを感じている方も少なくない。そんな人たちが「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と声の大きい人間に全面的に肯定されれば同意したくなってしまうだろう。本当は、選挙に行かなかったことは何も意見を持っていないと主張するのと同じだというのに。

政治家は、国のために働かない

「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」
この方がもし本当にそう思っているなら、これ以上政治利用し易い人種はいない。政治に興味をもたせろというが、はっきり言って政治家は必ずしも国民に興味を持って欲しいなんて考えていない。

少々煽るような見出しをつけたが、もちろん政治家の中にはもっと国を良くしたい、国民の暮らしを豊かにしたい、国の将来のために尽くしたいといった志を持って勤めている方もいるだろう。しかし、よくよく考えれば分かるはずだ。政治家は、政治家になることで自身の生活を成り立たせている。政治家でいられないということは、選挙に負けるということは、職を失うのとほとんど同じだ。国のためなら自分が全てを失ったって構わないなんて考えを持つ政治家がそうそういるはずがないことは考えればすぐに分かる。

興味をもたせろなんて受け身な考え方は本当に危険だ。政治の話はいつだって能動的に、批判的に見なければならない。SNSなんかでもよく取り沙汰されるが、メディアにはそれぞれ主義主張がある。人間の思考を通している限り、平等な報道なんてものはない。どこどこは左寄りだとか、どこどこは右寄りだとか、そんな話を聞いたことがあるだろう。テレビにしても、新聞にしても、彼らにはそれぞれ支持する政治思想があるし、そのためならなるべく批判を浴びない範囲内で偏った報道する。

例えば、コンビニで盗みを働いた人間が逮捕されたとする。あるメディアは「白昼堂々盗みを働く悪人を逮捕」と伝え、あるメディアは「貧困を理由に万引きをした少年を逮捕」と伝えるかもしれない。こういったような、ある事実を異なる表現で伝えたり、伝える内容を減らしたり増やしたりすることで印象を操作するというのはどんなメディアでも日常茶飯事だ。

政治家は、もちろんこれを利用して自身を良く見せたり、敵対政党を悪くいったりする。そうやって自身、あるいは自身の所属する政党の支持を相対的に上げることで自らの生活を成り立たせられるよう努める。

SNSなんかでメディア批判をする方も増えてきた。しかしながら、彼らの発言もまた彼らの思想や考え方のフィルターを通しているものだということを忘れてはならない。

さて、話を戻すと「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」という発言がいかに問題かがもうお分かり頂けるだろう。こんな風に受け身で政治の話を受け止めていれば、上述したような偏った意図で印象操作なんてこともお茶の子さいさいである。極端なことを言えば、興味をもたせろ、なんていっている間に明日には自分が殺されることを決めた法律が成立しているかも知れない。

選挙権を、どうか無駄にしないで

確かに1億人にも及ぶ有権者の中では、私たちの一票なんて何の意味もないように思われるかもしれない。あなたが選挙に行ったところで、結果は変わらなかったかもしれない。

でもどうか、だからと言って選挙に行くことを無駄なことだなんて考えないで欲しい。よく言われることだが、選挙に行かなかった全有権者が投票を行っていれば、選挙結果を簡単にひっくり返せる。それだけの力がある。(統計学的な視点で言えば、まず選挙結果は変わらないと考えられるが…)

また、この少子高齢化の社会では普通にしていれば高齢者が優遇されることになる。なぜなら、高齢者を優遇し多数派である高齢者の票を得ることで政党、政治家は勝つことができるからだ。加えて若者が政治に興味なし、選挙にも行かないとなれば、さらに若者は搾取され高齢者が優遇される未来が待っているだろう。しかし、そんなことはありえないかもしれないが、もし若年層の投票率が今よりずっと上がれば政党、政治家はそれを無視できなくなる。若者にせよ、高齢者にせよ、私たちの一票一票にはそれだけの力がある。夢のある話ではないだろうか。

もしも私たちが選挙権を完全に放棄してしまえば、制度上は民主制だったとしても奴隷制と同じだ。涙ぐましい努力やたくさんの血の上に今の民主制が成り立っていることを心の片隅に留めておいて頂ければと思う。




最後に。
普段は政治の話をインターネット上でしないように気をつけています。が、今回ばかりは堪えきれずあれこれと書いてしまいました。なるべく自身の中の偏った政治的主張が反映されないように努めましたが、誤解したりされたりが絶えないインターネット上ではやはりこういった話はしない方が良かったかな、とも思っています。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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