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決意表明

これから先、書くであろう記事に向けての決意表明を。

今までも何度か書こうと思い立ってはいたのだが、書き出しの数行で筆を投げ、それらはすべて丸めてゴミ箱に捨ててしまった。

自分にとって「本当に大切なもの」を人に伝えるのは、そう容易くない。いや、伝えることはできるのだ。何々は素敵だ、何々は美味しい、何々は楽しい、と平易かつ安易な言葉を用いればそれらを伝えることはできる。

しかし、そのような平易で安易な言葉で伝わることと、自分の中に渦巻く感情との間の乖離に、他の誰でもない自分が苦しむことになる。心の中ではもっと崇高な、他人に伝えようとしているのにも関わらず不可侵の領域が存在する。

具体的な話でこの気持ちを例えてみよう。

今、友人があなたの実家に遊びに来ているとする。例えばそれが大学の友人だとしよう。雑談の流れの中で初恋の人の話になったとき、友人はここがあなたの家であることを思い出して「卒業アルバムの中に初恋の人の写真があるのではないか」と提案するだろう。

難しい話ではない。話の流れとしてとても自然だ。話に具体性を持たせるためにも、彼の中の興味を満たすためにも、あなたには卒業アルバムを彼に見せる選択肢がある。話を単純化するために、卒業アルバムの彼女の写真はあなたが恋したあの時のまま、素敵な笑顔で残っているとしよう。

そこであなたは快く彼に卒業アルバムを見せることができるだろうか。中には容易くそれができる人もいるであろうし、そのことについて非難するつもりはない。ただ、少数ではない一定数以上の人が、その選択を快く選べないのではないかと私は推察する。

大したことでもないし、もう過ぎた過去のことだ。それなのに、あなたの彼女への想いは、一般的に用いられる「初恋の人」といった概念の枠には収まることはない。

初めて会ったあの日の、夕日がいつもより赤かったこと。他の男子と談笑する彼女の笑顔に心を痛めたこと。朝、おはようと声をかけられた一日がそれだけで色鮮やかに華やいだこと。バレンタインの放課後、彼女を想いながら一人家路を歩いたこと。彼女の好きな食べ物が蜜柑だったこと。卒業式の日、もう会えない事実に泣いた夜のこと。

こうして言葉を書き連ねていくこと、あるいは話して伝えることには限界がある。千の言葉を用いても、万の言葉を用いても、心の内と伝わることの間には乖離があって、それを知っているからこそ伝えるのをためらってしまう。

私がいくつもの記事を無かったことにしたのは、まさしくそのような理由からだった。伝えるのが怖かった。言葉にするのが、怖かった。

それでも、私はやはり書きたいと思う。伝えたいというこの気持ちまでなかったことにはどうしてもできないのだ。

私はこれから自分にとって本当に大切だった、心の底から想っていた、














AV女優の記事を書くだろう。




これが私の決意表明だ。