歌詠みを終えて〜1年と半年を振り返り〜

こんばんは、まつをです。

先日俳諧からの引退宣言をしまして、残すは20弱のストックを消化するのみとなりました。1年半続けた活動をやめるとなると、幾ばくかの寂寞を覚えますね。

思えば、一昨年の暮れあたりに575調のツイートをしたのが松尾芭蕉の始まりでした。意外にも楽しんで頂けて「歌詠みを通してもっと人を楽しませたい」と思い立ち、松尾芭蕉となったのが昨年の頭のこと。それから多少の休みは頂きつつも毎日一句を心がけ、1年と半年の間に生まれた作品は500を超えました(たぶん)。


聞かれてもいませんが、どうしてやめるに至ったかを告白したいと思います。

一言で表すならば「自分の作品にわくわくしなくなったから」です。自分がわくわくできない作品で人を楽しませるなど、できるはずもありませんね。

始めた頃は今より、効果的でない字余りや単純な句も多いのですが、それでも歌詠みをとても楽しんでいました。「こんな表現方法があるぞ!」「こんなことも伝えられる!」と。半bot化されたアカウントなので、夜22時にストックの中からどれがツイートされるか自分でも分からず、私自身読み手として更新が楽しみでした。

そうでなくなってしまったのはいつからだったでしょうか。新しい表現方法も、新しい表現内容もなく、既存の手法を通して鮮度を失った作品ばかりになってしまったのは。

才ある人間というのは、いつだって新しい価値を、まだ見たことの無い景色を人に見せる者です。

恥ずかしい話ではありますが今まで、自分は面白いことをやっている、と思いながら歌を詠んできました。最近になってふと自分の作品を読み返してみたのですが、そのあまりの面白くなさに逆に笑ってしまいました。と同時にとても惨めな気持ちになりました。惰性で風流の無い作品を詠み続ける私は、皆さんの目にはいっそう惨めに見えていたことでしょう。


このような記事を残して静かに俳の道を去ることができない辺りにも、自身の松尾芭蕉への思い入れが見て取れて滑稽ですね。

残りのストックくらいは、始めた頃のように、わくわくしながら更新を楽しみにしたいと思います。