もう少し、ここにいさせて

2016年6月25日17時2分、私は西千葉駅にいた。理由などはどうでもいい話だ。私はそこで見た景色に、甲子園でシーズン優勝を決めた阪神タイガースファンが如く絶叫した。歓喜の渦に飲み込まれた私は両腕を上げ、もう少し、ここにいさせておくれと神に祈った。私が見た景色、それは、

菜の花のように一面に咲き誇る夏服の女子高生達だった。



下らない話はさておき、俺は死んだら西千葉駅の改札に骨を埋めてくれというくらいに女子高校生あるいは女子中学生または女子小学生が好きです。

「お兄ちゃん、好きって、どの好き?」

と、15才の妹によく尋ねられるのですが、知ってるくせに可愛いな、と思いながら俺は妹の頬にキスをします。妹は照れてはにかみながら、俺に抱きつきます。どんな言葉もいらない。妹の体温を感じるとき、俺はそう感じます。

どうして僕はこんなにも若い女性が好きなのだろうと自問することがよくあります。自慰することもよくあります。大人の女性にも大人の魅力があって、例えば母乳とかです(他に特に思いつかなかった)。

今のところその答えは、僕が若いうちに十分な恋愛経験をできなかったからではないかな、と思います。価値観が、子どものまま止まってしまって、大人になれない僕。だから、まだ見ぬ君も、子どもであって欲しいのです。

ところで私は、人生の内に出会った人々を振り返ってみるに、女性の方が男性よりも表面を取り繕うものだと考える。立ち振る舞いや言葉遣い、マナー、それら品位が女性の方が上であることが多かった。

それらをもって私は、根本的に女性が好きだ。内面の話を持ち出して女性はああだこうだと語る人間もいるが、本当にどうでもいい話だ。知らないことはなかったことと同じ。表面だけ取り繕ってヘラヘラ笑い合う世界は穏やかで平和だと思う。しかしながら、そう振る舞うには自分を取り繕い続けなければならない。一度化けの皮が剥がれてしまえば、隠していた分醜く映ってしまうものだから。

「お兄ちゃん、好きって、どれくらい好き?」

妹はときに、不安げに目を潤ませて、そう聞きます。俺もその目を見るとき、涙腺が緩みます。言葉にできないくらいの愛が溢れるとき、人は泣くしかないんだなって。

「言葉にできないくらいだよ」

そう返すと、妹は怒ったように頬を膨らませます。

「ちゃんと言葉にして」

妹を抱き寄せて、耳元で俺は言います。

「ずっとそばにいよう」

そこでインターホンが鳴り、渋々ドアを開けると西千葉の女子高校生達が菜の花のように一面に咲き誇り家になだれ込んできて、僕は驚きながら、それでも喜びながら両腕を上げて彼女達を迎え入れ、

「お兄ちゃん」
「お兄ち「おに「お兄ちゃん」いちゃ「お兄「ゃん」お兄ちゃ」お「ん「兄ちゃん」ちゃん」おにい「お兄ち」ん「ちゃん」お兄ち」



「お兄ちゃん」