男女の友情は成り立つ!?〜友情が長続きする男女関係ランキング〜

どうも、マツヲです。

みなさん、異性のお友達はいますか?同性と同じように食事を一緒にとったり、日常の些細な愚痴をこぼし合ったり、目的もなく集まって遊びに出かけたり。

それでいて、多数の友人の中の一人で満足できる相手が。

私は独占欲がとっても強く、同性異性問わずある程度親交を深めると自分だけを見て欲しいという欲求が湧き上がります。そう思っていた相手が他の人と仲睦まじくしているのを見ると、心の中でその人を呪います。私はそのような人です。

そんな私がこういう関係なら男女の友情は成り立つのではないかと、そう思えるものを考えました。ランキング形式で紹介したいと思います。


1位 セフレ

男女間の友情を唯一成り立たせ得る関係。それはセフレではないでしょうか。

男女ともに、心の奥底、脳神経の根っこでは生殖相手としての異性を求めています。男性はよりそのような気質が強いと伺います。

そんな男女が同じ時間を共有するとき、かく性的欲求が全く湧き上がらないというのは友達以前の問題で、相手を異性として認めていないように思われるのです。であるからこそ、女性も異性の友人である彼との性差を認め、行為を許容してあげることで男女の友情は保たれるのではないでしょうか。無理に性差を押し殺して築く関係こそ、互いの性的欲求を屈折させ恋愛感情と結びつけてしまったり、独占欲を助長し二人の関係を壊してしまう。

人間の本質が動物的な衝動に端を発するならば、私たちは性的接触を認めその上で友情を深める。そんな関係を認めても良いのではないかと思うのです。

 

2位 セックスフレンド

私は男性の中の一定層が、いや、大多数が処女信仰を持っていることを知っています。仲の良かった男性が性的交渉を求めてきたとき、私の考えを伝えたら彼は言いました。

「お前がそんなやつだとは思わなかった。ビッチとなんかヤレるか。汚い女だな」

私はとても悲しい気持ちになると同時に、思ったのです。

「さぞてめぇのちんこは綺麗なんだろうな」

なぜ男性はここまでの処女信仰を持っているのでしょうか。もはや宗教的とまで言えるそれは文化として深く根付いてしまい、そう簡単に無かったことにはできないのかもしれません。穴に棒を何本入れたか、ということにここまで執着する必要があるでしょうか。

男性が、女性に対して友人でありながら他ならぬ自分が特別でありたいという思いを抱くのには、女性が自身を守り過ぎているというところに原因があるように思います。男女間の友情を築く手段としての性的行為が一般的なこととなれば、男性はここまでの処女信仰を抱かないのではないか。女性経験が少ない男性にこそ、このような信仰が根付いているのです。現に、今も仲良くしている男性の友人は性体験が豊富で、たくさんの女性と触れ合った上で私という女性を認め、仲良くしてくれています。

 

3位 交尾友達

セフレやセックスフレンドという言葉に対して抵抗のある方も多いでしょう。

そこで、交尾友達です。なんて清々しい関係でしょう。これなら「友達」の語感が残っていてイメージも悪くありません。

話は逸れますが、このような関係を維持するために心を強く持たなければならないのは、実は男性ではなく女性の方です。女性は本能的に、男性がラグナロクにおいてそのグングニルを放つとき、フェンリルと化したと思えばフレイアが如く微笑む。つまり、膣イキを感じたとき、それを恋愛感情と結びつけてしまう習性があります。

交尾友達を長く円満に続けるためには、互いに満足させ過ぎない性行為をする必要があります。少し雑なくらいのセックスが、二人の関係を長続きさせるのです。

 

番外編 恋愛感情が少しあるくらいでいい

人はなぜか、恋愛感情を崇高なものにしたがります。友達より恋人を優先するとか。彼女がいないと生きていけないとか。












馬鹿馬鹿しい。

喜び怒り哀しみ楽しみ。それら溢れる日常のすべての中で、どうしてここまで恋愛感情を立てなければならないのでしょうか。恋愛はそこまで神秘的なものでしょうか。

独占欲の強い私は、自身を律するためにも思うのです。

好きな人がたくさんいたって良いじゃないか。友達を好きになったって良いじゃないか。友達とヤったって良いじゃないか。そんなことで友達じゃなくなるなんて悲しいじゃないか。

たくさんの異性を知ったその人が、最後にあなたを選んだなら。そのとき初めてあなたは、他の誰でもないその人の一番となれるのではないか。


一番じゃなくたっていいから。恋愛感情があったって、性経験があったって、私はあなたの友達でいたいのです。