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父親として気をつけていること

親の教育が全てではないかもしれないが、多感な時期を共に暮らす者として親が子に与える影響は計り知れないと考えている。今まで他人事だった子育ても娘ができてガラリと変わった。そしてそれは娘が10歳を迎えてますます変わった。今までは可愛がり甘やかすだけだったが、娘も善悪を判断できる年齢になり生理も迎えた。私が想像するよりずっと早く大人への階段を上り始める娘が、その階段を転げ落ちて怪我をする事がないようにそっと背中に手を添えるのが親の役目なのではないだろうか。

私が一度鬱を患っていることを考えれば、娘が精神的に難しい時を迎えることは想像に難くない。世界は、日常は、考え方一つで明度も彩度も100から0まで変わってしまう。明るく生きていれば日々は明るく過ぎる。楽観的な話ではない、これが私たち人間にとって一番難しいことなのだ。であるからこそ、娘の毎日が少しでも輝くよう、暗闇に飲まれないよう願ってしまうのは親の性分だと理解してもらえるだろう。

具体的に二つほど、私は娘に対して意識して努めていることがある。

一つは、なるべく多くの時間を一緒に過ごすことだ。娘がそれを嫌がるならば甘んじて受け入れよう。しかし、共に過ごせるはずの時間をなおざりにし孤独を感じさせてしまうことだけは避けたい。人の思考回路というのは、地下へと続く迷路だ。下ることしかできない迷路で何度も同じ道を繰り返し歩き、行き止まりにあたって地面を掘り返し、さらに下っていく。気付いたときには一筋の日の光さえ差さないところに迷い込んで、出口を見失ってしまうだろう。

深い海の底から一度浮き上がり息をするように、人と過ごす時間にはそのような暗闇から一度離れることができると、そう私は信じている。

その延長で、私は今でも娘と一緒にお風呂に入っている。水を跳ね上げてはしゃぐ彼女が人の温もりを忘れないようにと、1日に1度その小さな身体を抱きしめるのだ。

もう一点気をつけていることがあって、それは夕食の時間のことだ。今まではなんということもなく「今日の学校は楽しかったかい?」と質問を投げかけていた。いつもならその日あった嬉しかったこと、面白かったことを笑顔で話してくれていた娘が、ある日だけ「ふつーだよ」とそっけなく返したことがあった。

その瞬間、私は思い出してしまった。親に「学校が楽しかったか」と聞かれることが自分にとって苦痛だったことを。どうして今まで忘れていたのだろうというくらいに後悔した。

私は学校が好きじゃなかった。団体行動も、勉強も、何もかも好きじゃなかった。だからと言って行くのが苦痛だったというわけでもない。なるべく誰とも関わらないように、最低限の愛想笑いだけ浮かべていれば、あの空間はやり過ごすことができるから。

でも、そんな風に過ごしている学校生活が「楽しかったか」と聞く両親の質問には、鉛玉を無理やり飲まされるような不愉快さがあった。「楽しかった何か」を両親が期待していることは明らかだった。彼らにとって、学校はそうあるべきものという考えがありありと目に見えた。だから私は、家に帰っても学校と変わらない愛想笑いを浮かべて「楽しかったよ」と言ってみせるのだった。

あの日以来、娘には「今日の学校は嫌なことなかったかい?」と聞くようにしている。娘は最初こそ不思議そうな顔をしたが、今では楽しかった日にはそれを話し、嫌なことがあった日もそれを話すようになった。些細でも、それが娘のSOSに気づくための一助になればと思う。

生きるということが根本的に苦痛だということを受け入れた上で、たまに心から笑える日があるのだということを、いつか娘と語り合える日がくるだろうか。