テトリスの話

子どもの頃、テトリスにハマっていた。ボタン電池で動く小さなゲーム機と言って伝わるだろうか。デジモンやたまごっち辺りが有名だが、ああいったサイズの筐体でテトリスをできるものがあった。

朝も夜も気が狂ったようにテトリスで遊んでいた僕は、次第に本当に狂ってしまった。ゲームを持っていなくても、無意識のうちに頭の中でテトリスが始まるのだ。2×2ブロックや凸ブロックが止めどなく落ちてくる。それらを右へ左へとさばいていく。ぼうっと空けているときばかりではない。食事をしているとき、人と会話をしているとき、ライブを見ているとき、映画を見ているとき。次から次へと降り注ぐテトリスが頭の中で消えては現れる。

だんだんと怖くなってしまった僕は、ボタン電池が切れたことをきっかけにテトリスをやめた。それでもしばらくは頭の中でブロックが降り続けたが、それもしばらくすると治った。あのまま行くと、僕は完全にテトリスのブロックに埋まってしまっていたかもしれない。

テトリスはセックスだ

テトリスと聞いて、どんなゲームかわからない方はそうそういないだろう。だが、せっかくなのでテトリスについて少し解説しよう。

テトリスはセックスだ。穴を作っては、そこに挿す遊びだ。大事に作り上げたおまんこほど、棒を挿し込んだときの快楽は強い。僕はきっと、子どもながらにその快楽に取り憑かれてしまったのだと思う。挿しては消えゆく儚いおまんこを求め続ける少年時代だったのだ。

ところで、穴を作っても一度ふさがってしまうとなかなかそこに挿すことはできないのもテトリスの難しいところであり、面白いところだ。あれはそう、なんとなく処女を守っていた女の子がだんだん理想を高く持ちはじめ、捨てたいのに捨てられない処女を抱えているみたいだ。あの穴は、一筋縄では挿れられない。

あぁ、挿れたい。

仕事はテトリス

仕事というのは、テトリスみたいなものだ。と言った話を兄とよくする。

投下されるタスクを順調に積み上げているうちは綺麗に消えてゆき、次のタスクを待つことができるし、なんならこちらからタスクを早く落とすよう求めることすらできる。

しかし、少しいびつなブロックが続いたり、投下速度が上がったことを原因に一度埋められない穴を空けた途端に状況は一転してしまう。小さな穴が癌となり次の穴を生む。連鎖的に増えて行く穴により形はガタガタになり、タスクが積み上がっていく。焦りだした頃には手遅れで、底の方に残った穴はもう到底埋めることができない。

兄も僕も、残り四段くらいでゲームオーバーというところで、なんとかギリギリテトリスを続けているみたいだ。血は争えない。ゲームオーバーになったら、もう全てを投げ出して逃げるしかないのだ。だから、なんとか、血反吐を吐きながら仕事を続ける。いや、もしかしたら、いつかのテトリスみたいに、僕らはテトリスをやめてここから逃げないといけないのかもしれない。

ところで、お気づきだろうか。
テトリスはセックスだ。
仕事はテトリスだ。

つまり…

仕事はセックスだ

うまくやれば気持ちいいものなんだ。それを忘れないでいたい。







※セックスは仕事だという帰結に至ることもできる