お仕事の話〜定時上がりの恐怖〜

今日も定時上がりだった。これは、とてもとても恐ろしいことだ。

資料の裏紙で一句を考えたり落書きをしていると定時の鐘か鳴ったので僕は帰ることにした。これは、とてもとても恐ろしいことだ。

仕事というのは、コストと売上を勘定し、それによる利得あるいは損失によって評価されるものだ。

例えば、社員にりんご売りを任せたとする。1個200円のりんごを1時間で10個売れば売上は2000円だ。そのりんごを150円で仕入れていたとすると、利得は500円となる。さらにりんご売りの時給が1000円だったとすると利得は無くなり損失が500円となる。せっかく頑張ってりんごを売ったのに500円の赤字が出てしまうのだ。

損失を無くし利得を得るにはいくつかの方法があるだろう。

  1. りんごを1個250円より高値で売る
  2. りんごを1個100円より安値で仕入れる
  3. りんご売りの時給を500円より下げる
  4. りんご売りが30分かけずに10個売る

実際の仕事はもっと複雑でこんな簡単に語れる話ではないのだが、簡潔にするとこんなところだと思う。

僕の仕事柄、1〜3は選択肢として却下される。したがって僕は4に努めた。自分が早く仕事を終わらせれば、利得が得られるのだ。利得は会社に還元され、最終的にそれは僕に還元される。

しかし、最初に話した通り僕はここのところりんごを売るわけでもなく、裏紙に落書きを書いて定時に仕事を上がっている。そして、定時で上がっているのは僕くらいなもので、他の社員は残業をして仕事をしているのだ。

どうしてこんなことになってしまっているのかというと、僕に仕事が与えられていないからだ。僕に仕事が与えられていないのにも関わらず、他の社員は仕事をしているのだ。

単刀直入に言おう。僕は見限られてしまったのである。

4に努めていた僕は確かに短時間で多くの仕事をこなしてきたはずだ。しかし、それに努めるばかり失敗が増えた。失敗が増えるとそれを僕、あるいは誰かが余計な時間を使って直したり、謝ったりする。それだけではない、失敗が増えることによって信頼が無くなる。結果として、コストを大きな目で見たとき、僕に仕事を与えることは損失を生むこととして認識されてしまったらしい。

そんなわけで、僕は今日も裏紙に落書きを書いたりその紙で折り紙をしている間に定時を迎えてしまった。落書きをするのも折り紙をするのも仕事として与えられているわけではないので、僕の労働時間はその他に付けることになる。その他は売上なんぞ1円たりとも上げていないので、結果として僕の労働時間が全て損失となる。

おわかりだろうか。この会社にとって、僕が存在すること自体が損失となっているのだ。これは、とても恐ろしいことだ。はっきり言っていつクビになってもおかしくない。むしろ今も会社に席があることがおかしい。

お仕事はシビアだ。コストと利得の話だけだと思ったらそこに信頼なるものが絡んでくる。僕は残念ながらその信頼を失ってしまったし、そうなるともう簡単には取り戻すことができない。手遅れになってしまった。

定時上がりというのは、今の僕にとってとてもとても恐ろしいことなのだ。