2017年5月の総評

人気の一句


今月の人気一句はこちら。「嘘でも抱いて」は原曲歌詞の「嘘でも抱かれりゃ あたたかい」から来ています。JASRACに怒られそうですね。ちなみに、これを見た後に歌を聴くと「あなたと越えたい 天城越え」が下ネタに聞こえてきます。実際下ネタなのかもしれません。天城越えの人気ぶりに驚くと同時に、石川さゆりさんすげえなあといった所感です。

お気に入りの一句

今月のお気に入りの一句を紹介していきます。


「棒」と「嬢」で韻を踏んでいることは言わずもがなですが、この一句、情景がとても鮮明に浮かぶんですよね。

アダルトな文化に自慰を自撮りする女の子というジャンルがあります。一部の偏った性的嗜好を抱えた方々から熱い支持を受けるこちらですが、基本的には固定カメラの前で女の子がオナニーをするという構図となります。

実は、私はこの一句の中である提案をしているのです。それは自撮り棒の棒でオナニーをしながら自撮りしたら生々しくダイナミックでマニアックなエロティックな映像が撮れるのではないかというものです。自撮り棒で自慰をする女の子を想像してみてください。なんて滑稽なんでしょう



「処理」と「女子」で韻を踏んでいますね。注目すべきは上五(かみご:始めの五音)と中七(なかしち:間の七音)の締めで韻を踏んでいることです。こうなりますと、下五(しもご:終わりの五音)でも韻を踏むことが予想されます。が、実際には「夏は来た」とあえて韻を踏まず、完了形の言葉を用いています。読み手の予想に対する裏切りによってその言葉の力強さが強調されているのです。この手法は楽曲などでも効果的に使われていて、例えば大サビの入りで一拍休符を用意することで「あ、サビが来る!」という聴き手の予想を裏切ることによりいっそうサビの印象を強くしていたりします。



「ちんちん」と「禁忌」で韻を踏んでいますね。また韻かよ、と思ったあなた。韻にばかり気を取られてその後のギミックを見落としていませんか?いえ、お気付きですよね、野暮でした。

ちなみに私が始めて買ったCDはKinKi Kidsの「僕の背中には羽根がある」でした。



「中出しの一句」というのが少々野暮だったかもしれません。例に漏れず「涙」と「阿弥陀」で韻を踏んでいます。また、「溢れ出す」というフレーズが「涙」を導いていますね。

この一句の注目すべき点は「まんこの涙」にあります。この隠喩表現が鍵です。指し示すものが中出し後にこぼれ出た白濁液であることは想像に難くありませんが、「涙」と喩えることで彼女は中出しを望んでいなかったことが窺い知れます。「南無阿弥陀」は第三者視点のお悔やみの言葉といったところでしょうか。

改めて歌を読み返してみると、見えてきませんか?ほんの軽い気持ちで、小遣い稼ぎくらいの気持ちで援助交際に手を染めた少女が悪い大人に騙され望まない性行為を強要され、挙げ句の果てには無理やり中に出され、その悔しさや自身に対する恥ずかしさから目を赤く潤ませる彼女の姿が。



僭越ながら、この一句を詠んで私は「勝った」と思いました。それくらいの自信作でした。

泡姫とはソープ嬢を指す言葉としてしばしば用いられます。つまり風俗嬢です。吉原の時代から、彼女達には客との自由な恋愛が認められていませんでした。客と駆け落ち、といったシチュエーションが物語に描かれていることも少なくありませんね。

そう、泡姫の客への恋心は秘めたる淡いものでなければならないのです。そして語感についても「秘め」と「姫」が重なり、「淡」と「泡」が重なります。

上五と下五を繋ぐ中七の「秘めたる淡い」が意味合いとしても音の響きとしても強い必然性を持っているわけです。ああ、なんて美しいのでしょう。

おわりに

いかがでしたか。ここに書いたことは、私の考えていたことであって、読み手の皆さんに強要するものではありません。ですが、575の中に小さな工夫が散りばめられていること、その言葉から豊かな想像を膨らますことができること。そういった奥ゆかしい面白さがあるということを知って頂けたら幸いです。

今月も、今日の一句をお楽しみください。