ナイフ

カバンの内ポケットに、いつでもナイフを入れている。大きな声では言えないけれど。折りたたみ式のそれは、今日も僕と一緒に電車に揺られながらすやすやと眠る。

今朝は混んだ電車で足を踏まれていた。まるで自分以外の全てに心が無いか、あるいは無機物だとでも考えているかのような顔をした醜い小太りの男だった。日々の生活の中で黒炭を喰らっていると煙を上げてしまいそうになるそんな瞬間に、カバンの中のナイフを思い出すようにしている。

「こんなやつ殺そうと思えば殺せるんだ」

そう思うと不思議と心の中に草原をそよぐ緑色の風が舞い込んでくるのだった。想像の中で動脈を一掻きすると赤色の虹が架かる。即死した男の顔が目を見開いているのが滑稽だ。

殺してやりたい、殺したい、というのとは少し違う。そう、これは優越感だ。ナイフがあれば、他人の命に憐れみすら覚えてしまうことがある。命とは、なんてちっぽけだろう。

今日もすみません、すみませんと繰り返しながら何に謝っているのかも分からないまま仕事を終えた。会社のトイレで胃液の絡んだ黒炭を吐いた。空っぽの胃にコンビニのパンを詰め込んでから、それも駅のトイレで吐いた。ナイフはそんなことを気にも止めずにすやすやと眠る。

死にたいと、いや、もう生きたくないと思うような夜も、ナイフのことを考えると湖のしじまに浮かんでいられる。

「こんなやつ殺そうと思えば殺せるんだ」

命とは、なんてちっぽけだろう。