村本大輔の「選挙に行かなかった」宣言は、許されない

とりあえず、こちらのツイートを見て欲しい。

https://twitter.com/wrhmuramoto/status/922331151452160000

これを見て大抵の人は、おいおい何を言っているんだ、と思うはずだ。これほどまでに恥ずかしい発言はなかなか見られたものじゃない。声を大にしてこんなことを言うなんて、炎上を狙った釣りなんじゃないかと思わずにはいられないほどだ。しかし、釣りだとしても、どんな意図があったとしてもこの発言は許されるものではない。チラシの裏に書いているならまだいい。現時点で数千ものRTがあり、幾万人もの人の目に触れるような発言力のあるアカウントがこれを発信したことの罪は相当に重い。

無投票は抗議にはならない

リプライ欄にいくつも同様の指摘があるが「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」というフレーズの恥ずかしさは飛び抜けている。

無投票や白紙票は、残念ながら抗議の意味を持たない。それはあなたが日本国民として何も意見を持っていないと主張するのと同じだ。もっと言えば、私は投票に行った人たちの多数派の意見に同調しますと主張しているだけだ。選挙に行かなかった人間に、政治批判をする権利はないと批判されるのはそのためだ。

「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と本当に考えているなら、それは政治や選挙に興味がない人間よりずっとタチが悪い。この方に政治批判をする権利があるかどうかということは、実のところ全くどうでもいい問題だ。そんなことよりずっと問題なのは、発言力のある人間がこれを言うことでそうだと思い込んでしまう人たちが少なからずいると言うことだ。政治に興味がない、選挙に行かない人たちの中にはそのことに後ろめたさを感じている方も少なくない。そんな人たちが「選挙に興味なかった俺たちが国民の総意」と声の大きい人間に全面的に肯定されれば同意したくなってしまうだろう。本当は、選挙に行かなかったことは何も意見を持っていないと主張するのと同じだというのに。

政治家は、国のために働かない

「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」
この方がもし本当にそう思っているなら、これ以上政治利用し易い人種はいない。政治に興味をもたせろというが、はっきり言って政治家は必ずしも国民に興味を持って欲しいなんて考えていない。

少々煽るような見出しをつけたが、もちろん政治家の中にはもっと国を良くしたい、国民の暮らしを豊かにしたい、国の将来のために尽くしたいといった志を持って勤めている方もいるだろう。しかし、よくよく考えれば分かるはずだ。政治家は、政治家になることで自身の生活を成り立たせている。政治家でいられないということは、選挙に負けるということは、職を失うのとほとんど同じだ。国のためなら自分が全てを失ったって構わないなんて考えを持つ政治家がそうそういるはずがないことは考えればすぐに分かる。

興味をもたせろなんて受け身な考え方は本当に危険だ。政治の話はいつだって能動的に、批判的に見なければならない。SNSなんかでもよく取り沙汰されるが、メディアにはそれぞれ主義主張がある。人間の思考を通している限り、平等な報道なんてものはない。どこどこは左寄りだとか、どこどこは右寄りだとか、そんな話を聞いたことがあるだろう。テレビにしても、新聞にしても、彼らにはそれぞれ支持する政治思想があるし、そのためならなるべく批判を浴びない範囲内で偏った報道する。

例えば、コンビニで盗みを働いた人間が逮捕されたとする。あるメディアは「白昼堂々盗みを働く悪人を逮捕」と伝え、あるメディアは「貧困を理由に万引きをした少年を逮捕」と伝えるかもしれない。こういったような、ある事実を異なる表現で伝えたり、伝える内容を減らしたり増やしたりすることで印象を操作するというのはどんなメディアでも日常茶飯事だ。

政治家は、もちろんこれを利用して自身を良く見せたり、敵対政党を悪くいったりする。そうやって自身、あるいは自身の所属する政党の支持を相対的に上げることで自らの生活を成り立たせられるよう努める。

SNSなんかでメディア批判をする方も増えてきた。しかしながら、彼らの発言もまた彼らの思想や考え方のフィルターを通しているものだということを忘れてはならない。

さて、話を戻すと「台風の中、選挙にいかせるぐらい政治に興味をもたせろ」という発言がいかに問題かがもうお分かり頂けるだろう。こんな風に受け身で政治の話を受け止めていれば、上述したような偏った意図で印象操作なんてこともお茶の子さいさいである。極端なことを言えば、興味をもたせろ、なんていっている間に明日には自分が殺されることを決めた法律が成立しているかも知れない。

選挙権を、どうか無駄にしないで

確かに1億人にも及ぶ有権者の中では、私たちの一票なんて何の意味もないように思われるかもしれない。あなたが選挙に行ったところで、結果は変わらなかったかもしれない。

でもどうか、だからと言って選挙に行くことを無駄なことだなんて考えないで欲しい。よく言われることだが、選挙に行かなかった全有権者が投票を行っていれば、選挙結果を簡単にひっくり返せる。それだけの力がある。(統計学的な視点で言えば、まず選挙結果は変わらないと考えられるが…)

また、この少子高齢化の社会では普通にしていれば高齢者が優遇されることになる。なぜなら、高齢者を優遇し多数派である高齢者の票を得ることで政党、政治家は勝つことができるからだ。加えて若者が政治に興味なし、選挙にも行かないとなれば、さらに若者は搾取され高齢者が優遇される未来が待っているだろう。しかし、そんなことはありえないかもしれないが、もし若年層の投票率が今よりずっと上がれば政党、政治家はそれを無視できなくなる。若者にせよ、高齢者にせよ、私たちの一票一票にはそれだけの力がある。夢のある話ではないだろうか。

もしも私たちが選挙権を完全に放棄してしまえば、制度上は民主制だったとしても奴隷制と同じだ。涙ぐましい努力やたくさんの血の上に今の民主制が成り立っていることを心の片隅に留めておいて頂ければと思う。




最後に。
普段は政治の話をインターネット上でしないように気をつけています。が、今回ばかりは堪えきれずあれこれと書いてしまいました。なるべく自身の中の偏った政治的主張が反映されないように努めましたが、誤解したりされたりが絶えないインターネット上ではやはりこういった話はしない方が良かったかな、とも思っています。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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