ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿、という話

 

 

おーれーはヴィ〜ガ〜ン!!!!(ジャイアンのノリで)

こんにちは、まつをです。打ち明けるのにはとても勇気がいるのですが、私はヴィーガンです。嘘です。

今日はヴィーガンの話をします。

ヴィーガンとは?

今日日、ずいぶんヴィーガンも市民権を得ておりご存知の方も多いかと思いますので、簡単にヴィーガンとは何かを紹介したいと思います。

ヴィーガンとは、人が生きる上で動物を苦しめてはいけないという考えで生きる人々を指し、その考えはヴィーガニズムという主義主張に則っています。ベジタリアンと同じように肉、魚を食さないのに加え、卵製品や乳製品も避けますし、より敬虔な場合には虫を食べることも避け、革製品を避け、動物実験を利用した製品を避け…といった具合に、とにかく「人間は生き物を搾取するな」といった思想を実践します。

ヴィーガニズムは、いくつかの種類に分けることができます。

  • 宗教ヴィーガニズム:道徳のため動物を苦しめることを忌避し、あらゆる目的で動物を人間のために利用することを否定します。
  • 健康ヴィーガニズム:健康のため肉、魚、卵製品や乳食品を避けます。
  • 環境ヴィーガニズム:環境のため大量の温室効果ガスを発生させている畜産業を否定します。

共通していることは、肉、魚、卵製品、乳食品を摂らないことで、異なることはそれがどのような考えから実践されているか、またその考えにより動物利用制限を食事以外にも波及させているかどうか、となります。当然、ヴィーガンがみな明確にこの3つに分類できるわけではなく、道徳的にも健康的にも良くないよね、といった方などもいますし、実践具合も考え方も人により千差万別です。

話題が発散しないよう、今回は宗教ヴィーガニズムに焦点を当てて話を進めていきます。

ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿

私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、自身がヴィーガニズムを実践するとともに、今そこでファミチキを食べているあなたにもヴィーガニズムを実践して欲しいと思っています。

このようなことを言うと、必ず非ヴィーガンの方は「他人が食うものに口出しするな」とか「肉や卵が食べられないなんてかわいそう」とか「野菜しか食べないなんて馬鹿だ」と声高に返します。ですが、私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、「動物を苦しめてはいけない」という主義主張、ほとんど信仰に近いものを抱えていますから、動物を苦しめた上で成り立っているあなたの食事を快く思うわけにはいかないのです。たとえ他人であっても。

そして、深く考えもせずにヴィーガンの食事を馬鹿にしてしまうあなたは、残念ながら馬鹿という他ありません。

極端な話をしましょう。犬を食べますか。食べないならなぜですか。食べてみたら豚より牛より馬よりずっとあなたの好みの味かもしれませんよ。大久保に行けば今でも食べることができますよ。

もしその理由が、なんとなく気持ち悪いから、かわいそうだから、そういう文化で生活していないから、というものであれば、それはほとんどヴィーガンの主張と変わりないものです。

「いやいや、俺は他人が犬食っててもどうとも思わないし(笑)」と考えているあなた。もっと極端な話をしましょう。

他人が人間を食べていたらどう思いますか。もちろん、今は世界的に人間を食べることは御法度です。しかし、私たちが「何を食べたって自由」なのであれば人間だって食べていいはずです。そんなおかしな法律やルールはなくしてしまえばいいではないですか。種の存続という観点から人間が人間を食べるのはよくないというのであれば、養殖すれば問題ないですね。牛や豚みたいに家畜として人間を育てて焼くなり煮るなりして食いましょう。きっととても美味しいですよ。人肉は健康に悪いと言った記事も見かけますが、現代の科学や技術で衛生的にしっかり管理された人肉であっても同様なのか、疑問が残ります。

きっと今あなたは「それは倫理的によくない」とか「道徳に反する」と考えていることでしょう。それは、ヴィーガンの考えを支えるものと、何かちがいますか。

(ここで「いや、誰が人間を食べていても気にしない」などと考えているようなら、こんな記事を読んでいないでまず病院に行ってください)

ヴィーガンの否定は簡単じゃない

「私が何を食べるか」は、「私が何者であるか」という問いに直結するように思います。私たちヴィーガンが(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、動物を苦しめてはいけないという信念のもとに生きているのと同じように、非ヴィーガンの方々も犬を食べるのはおかしいとか、人間を食べてはいけないとか、そういう信念を(たとえ無意識であったとしても)少なからず抱えて生きているのです。

日本人の多くは自身が無宗教で無信仰であることを自慢げに語りますが、無自覚なだけで、ほとんど宗教や信仰に近いものを持っています。人間誰しも、社会性を保つために共通の思想や文化を持つ必要があるのです。それがなければ、社会は破綻してしまいます。

ヴィーガンの方々がヴィーガンを深く考えずに否定してしまうのは、ヴィーガンの考えがあなたのもつ思想や文化に反し、あなたの属する社会を壊しかねないからです。非ヴィーガンの多くはこれからも「否定」という結論ありきで健康だのなんだの、その材料かき集めてはヴィーガンを迫害することでしょう。

ヴィーガンの方は、今のところこの世界のマジョリティに属しています。だから、まるでそれが全人類にとって正しいことかのように、疑いもせずにヴィーガンを否定するでしょう。しかしそれは、人類が繰り返してきた宗教的迫害、対立、戦争の歴史と似ていませんか。その否定の先にあるのは、人類が本当に目指すべき未来でしょうか。

ヴィーガンの問題が宗教的なものであるとわかると、そうそう簡単に解決できるものではないことが見えてくると思います。宗教的対立の問題を、人類は未だ克服できていません。

これは、ヴィーガンが正しいとか、非ヴィーガンが正しいとか、そういった問題ではありません。並行して存在してしまう異なる信仰を、文化を、道徳を、いかに共存させていくのか。人間は、そういった問いと真摯に向き合っていく必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

それにしてもファミチキうめぇ。