ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿、という話

 

 

おーれーはヴィ〜ガ〜ン!!!!(ジャイアンのノリで)

こんにちは、まつをです。打ち明けるのにはとても勇気がいるのですが、私はヴィーガンです。嘘です。

今日はヴィーガンの話をします。

ヴィーガンとは?

今日日、ずいぶんヴィーガンも市民権を得ておりご存知の方も多いかと思いますので、簡単にヴィーガンとは何かを紹介したいと思います。

ヴィーガンとは、人が生きる上で動物を苦しめてはいけないという考えで生きる人々を指し、その考えはヴィーガニズムという主義主張に則っています。ベジタリアンと同じように肉、魚を食さないのに加え、卵製品や乳製品も避けますし、より敬虔な場合には虫を食べることも避け、革製品を避け、動物実験を利用した製品を避け…といった具合に、とにかく「人間は生き物を搾取するな」といった思想を実践します。

ヴィーガニズムは、いくつかの種類に分けることができます。

  • 宗教ヴィーガニズム:道徳のため動物を苦しめることを忌避し、あらゆる目的で動物を人間のために利用することを否定します。
  • 健康ヴィーガニズム:健康のため肉、魚、卵製品や乳食品を避けます。
  • 環境ヴィーガニズム:環境のため大量の温室効果ガスを発生させている畜産業を否定します。

共通していることは、肉、魚、卵製品、乳食品を摂らないことで、異なることはそれがどのような考えから実践されているか、またその考えにより動物利用制限を食事以外にも波及させているかどうか、となります。当然、ヴィーガンがみな明確にこの3つに分類できるわけではなく、道徳的にも健康的にも良くないよね、といった方などもいますし、実践具合も考え方も人により千差万別です。

話題が発散しないよう、今回は宗教ヴィーガニズムに焦点を当てて話を進めていきます。

ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿

私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、自身がヴィーガニズムを実践するとともに、今そこでファミチキを食べているあなたにもヴィーガニズムを実践して欲しいと思っています。

このようなことを言うと、必ず非ヴィーガンの方は「他人が食うものに口出しするな」とか「肉や卵が食べられないなんてかわいそう」とか「野菜しか食べないなんて馬鹿だ」と声高に返します。ですが、私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、「動物を苦しめてはいけない」という主義主張、ほとんど信仰に近いものを抱えていますから、動物を苦しめた上で成り立っているあなたの食事を快く思うわけにはいかないのです。たとえ他人であっても。

そして、深く考えもせずにヴィーガンの食事を馬鹿にしてしまうあなたは、残念ながら馬鹿という他ありません。

極端な話をしましょう。犬を食べますか。食べないならなぜですか。食べてみたら豚より牛より馬よりずっとあなたの好みの味かもしれませんよ。大久保に行けば今でも食べることができますよ。

もしその理由が、なんとなく気持ち悪いから、かわいそうだから、そういう文化で生活していないから、というものであれば、それはほとんどヴィーガンの主張と変わりないものです。

「いやいや、俺は他人が犬食っててもどうとも思わないし(笑)」と考えているあなた。もっと極端な話をしましょう。

他人が人間を食べていたらどう思いますか。もちろん、今は世界的に人間を食べることは御法度です。しかし、私たちが「何を食べたって自由」なのであれば人間だって食べていいはずです。そんなおかしな法律やルールはなくしてしまえばいいではないですか。種の存続という観点から人間が人間を食べるのはよくないというのであれば、養殖すれば問題ないですね。牛や豚みたいに家畜として人間を育てて焼くなり煮るなりして食いましょう。きっととても美味しいですよ。人肉は健康に悪いと言った記事も見かけますが、現代の科学や技術で衛生的にしっかり管理された人肉であっても同様なのか、疑問が残ります。

きっと今あなたは「それは倫理的によくない」とか「道徳に反する」と考えていることでしょう。それは、ヴィーガンの考えを支えるものと、何かちがいますか。

(ここで「いや、誰が人間を食べていても気にしない」などと考えているようなら、こんな記事を読んでいないでまず病院に行ってください)

ヴィーガンの否定は簡単じゃない

「私が何を食べるか」は、「私が何者であるか」という問いに直結するように思います。私たちヴィーガンが(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、動物を苦しめてはいけないという信念のもとに生きているのと同じように、非ヴィーガンの方々も犬を食べるのはおかしいとか、人間を食べてはいけないとか、そういう信念を(たとえ無意識であったとしても)少なからず抱えて生きているのです。

日本人の多くは自身が無宗教で無信仰であることを自慢げに語りますが、無自覚なだけで、ほとんど宗教や信仰に近いものを持っています。人間誰しも、社会性を保つために共通の思想や文化を持つ必要があるのです。それがなければ、社会は破綻してしまいます。

ヴィーガンの方々がヴィーガンを深く考えずに否定してしまうのは、ヴィーガンの考えがあなたのもつ思想や文化に反し、あなたの属する社会を壊しかねないからです。非ヴィーガンの多くはこれからも「否定」という結論ありきで健康だのなんだの、その材料かき集めてはヴィーガンを迫害することでしょう。

ヴィーガンの方は、今のところこの世界のマジョリティに属しています。だから、まるでそれが全人類にとって正しいことかのように、疑いもせずにヴィーガンを否定するでしょう。しかしそれは、人類が繰り返してきた宗教的迫害、対立、戦争の歴史と似ていませんか。その否定の先にあるのは、人類が本当に目指すべき未来でしょうか。

ヴィーガンの問題が宗教的なものであるとわかると、そうそう簡単に解決できるものではないことが見えてくると思います。宗教的対立の問題を、人類は未だ克服できていません。

これは、ヴィーガンが正しいとか、非ヴィーガンが正しいとか、そういった問題ではありません。並行して存在してしまう異なる信仰を、文化を、道徳を、いかに共存させていくのか。人間は、そういった問いと真摯に向き合っていく必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

それにしてもファミチキうめぇ。

 

 

 

夢精の話〜ぼくが夢精を乗り越えるまで〜

 

みなさんは何か人に話せないようなコンプレックスを抱えているだろうか。誰しもひとつやふたつは、打ち明けられず心のうちに隠しているものがあるだろう。あるいは、コンプレックスがないこと自体がコンプレックスになってしまった人もいるかもしれない。

かく言うぼくもドロドロのロリータコンプレックスだ。というのは冗談で口に出せる程度のもので、実のところ大っぴらにはなかなかできないコンプレックスがぼくにもある。

 

 

ぼくは、青年期のほとんどを、夢精に怯えながら生きてきた。

 

 

夢精に苦しむひとたちにとって、ほんの少しでも支えになることを願ってこの記事を書いている。

夢精とは?

端的にいうと、夢精とは睡眠中の射精だ。えっちな夢を見た場合に起こると言われることが多い。しかし、必ずしもそうでない場合もある。体内に過剰量の精液が溜まり、分解吸収できなかったものが夢精を通して排出されるケースもある。

夢精って気持ちいいんでしょ?と男性の中には夢精に幻想を抱いている者もいるが、この際はっきり言っておかなければならない。

夢精は最悪だ。

そもそも、えっちな夢を見て夢精することは少ない。いや、実際にはそのような夢を見ているのかもしれないが、みなさんもご存知のとおり夢というのは大抵起きたとたんに霧散してしまうものだ。どんな夢だったのかは起きたときには頭からすっかり抜け落ちている。加えて、より悪いことに夢精というのはほとんどの場合、射精する瞬間には目が覚めている。

深夜、射精に伴い目を覚まし、下着の汚れを確認する。ひどい場合にはパジャマも汚れている。洋服を着たまま射精してしまう不快感。家族が起きていないことを確認して洗面台に向かう。汚れを洗い落とす。本当なら洗濯機にでも突っ込みたいところだが、2枚も下着が洗濯に出ていたらおかしいのでそれもできない。やむなく、家族の起床に怯えながらドライヤーで簡単に乾かしたのち、生乾きの下着を再び着る。

お分かり頂けるだろうか。気持ちよさよりも、夢精の不快感は100億倍くらい大きいものなのである。

夢精の苦しみ

ぼくが初めて夢精したのはたぶん、小学5年生のときだった。そのころぼくは、高学年にもなっておねしょをした。おねしょのわりには量が少なく、寝具は汚れず、下着も少し湿っぽいだけだった。誰にも言わなかった。

当時のぼくは、キスしたら子どもが生まれると考えているくらいには性的知識が乏しかった。だから気付くことができなかったけれど、あれは夢精だったのだと思う。ぼくの精通は、無意識のうちに夢の中で済まされたのである。

ぼくが夢精を意識することができたのは、中学生になってからだ。定期的に発生するそれが「おねしょ」ではないことを理解し、そして苦しむことになる。

まず、誰にも相談できなかった。夢精が生理現象のひとつであるとしても、まさか家族に相談できるわけがなかった。家族に性的な悩みを相談するなんて、思春期の子どもにとってはハードルが高すぎる。友人にも相談できない。からかわれるに決まっているし、場合によっては気持ち悪がられ、最悪の場合いじめに発展するだろう。思い出してみてほしい。あのころの子どもは残酷で、学校のトイレでうんちしただけでも馬鹿にされ、すぐに話が広がってしまう。夢精のことなんて話せるはずがない。

また、夢精によってぼくは寝不足にも襲われた。疲れてどっぷり眠りたい夜。翌朝早く起きなければならない夜。そういうときでもお構いなく夢精は起きた。その度、ぼくは眠い目を擦ってもう擦っても勃たない不甲斐ないそれをぼんやり眺めた。

恐ろしいことに、夢精は時と場所を選ばない。家にいるときなら、まだいい。家族の目さえ盗めれば、あとは決まりきった手順で夢精の処理ができる。しかし夢精は、例えば祖父母の家に泊まったとき、友人宅に泊まったとき、部活の合宿、修学旅行、いつでも発生した。その度ぼくは不快感に襲われ、誰かにバレることに怯え、しまいには宿泊イベント自体が嫌になった。

エロいことばっかり考えているから夢精するんだ、と思われてしまうのも怖かった。ぼくは少し下ネタが好きで、赤いランドセルを見ると勃起してしまうだけの、いたって普通な思春期の男の子だった。だから、人から「実はそういうことばかり考えている」と思われるのはぼくの尊厳に関わる問題だった。

そう。自身の尊厳を守るためにぼくは、夢精を人から隠し通さなければならなかったのだ。

夢精の終わり

思春期の間だけの問題だと思っていた夢精は、それからずっとぼくにのしかかり続けた。中学生、高校生。そして大学生になってもそれは続いた。打ち明けるのには本当に勇気がいるのだが、実のところサークルの合宿や、宅飲みした夜にも夢精した。汚らしいと罵られても構わない。それ以上にひどい言葉で、ぼくはぼくを侮辱し続けてきた。

そして、夢精の終わりは突然に訪れた。気がついたら、ここ4、5年は夢精をしていない。理由は分からない。分からないが、今でもぼくは、明日は夢精してしまうのではないかと怯えながら日々を過ごしている。

夢精の予防法

プラセボかもしれないが、ぼくがどうしても夢精したくないときにやっていた予防法を紹介しよう。

  • 定期的に自慰を行う

射精は生理現象のひとつなので、好奇心旺盛で精液の分解吸収能力がまだ低い思春期には、必要以上に精液を溜めないことが大事だ。抜いたその日でさえその晩に夢精することもあるので、抜いたからといって確実に夢精を避けられるわけではないが、リスクを低減させる堅実な方法と言えるだろう。

  • 就寝前のエロを避ける

眠る前にえっちな絵を見たり、話を読んだり、AVを観るなんてことはもってのほかだ。夢というのは自身の頭の中に潜む様々が織りなす物語なので、眠る前に頭の中にエロを敷き詰めることは夢精のリスクを格段に上げてしまう。寝る前にはなるべく親鸞の教えに触れることをお勧めしたい。

はじめての親鸞 (新潮新書)

はじめての親鸞 (新潮新書)

  • おしっこをしておく

これは、なぜか分からないがよく効いた。尿を溜めないことで、下腹部まわりに向かう不要な意識みたいなのを避けられているのではないかと考えたが、原理は不明だ。逆に、眠る前にトイレに行き忘れた晩にはよく夢精し、おねしょしたかと焦ったものである。

  • うつ伏せで寝ない

睡眠中は、小さな刺激が夢に反映されてしまったりする。だから、なるべく息子への刺激は排除しなければならない。うつ伏せで眠るとどうしても身体と布団の間で息子が圧迫され、それは、つまり、その…

 

 

 

 

 

床オナだ。

 

 

最後に

このコンプレックスは、ずっと、なかなか人に打ち明けられなかった。夢精をしなくなった今だからこそこうして記事にして振り返ることができるが、内心では他人に軽蔑されるのではないかとビクビクしている。

でも、もしもあなたも夢精に苦しんでいるのなら、どうか自分自身を否定しないで欲しい。夢精は生理現象のひとつで、それこそ生理と同じ不可抗力で止められるものではない。

そして、もしもあなたが誰かの夢精を思いがけず知ってしまったら、どうかそっとしておいてあげて欲しい。夜中に友人が1人洗面台に向かって何かを洗っているとき。洗濯物になぜか2枚の下着が出ているとき。何も気づかないフリをしてあげて欲しい。それを隠し通すことは、きっと彼にとって尊厳に関わる問題だから。

もしもその誰かが夢精について打ち明けたとき、どうか囃し立てないであげて欲しい。彼らはただ、自身が夢精しているということだけでこれ以上なく苦しんでいるのだから。夢精は誰にでも起こることではないから分かりづらいかもしれないけれど、生理現象のひとつで、どんなにしたくないと願っていても起きてしまうのだから。

ムセイオン - Wikipedia

 

電車会社にお願いしたい3つのこと

お久しぶりです、まつをです。ここ最近はTwitterでナンパ師が投稿している女の子の写真やハメ撮り動画を見ては、私が大切に想う女の子たちがどうかこんなことをしていませんようにと祈りシコる日々です。

さて、今回のテーマは電車会社にお願いしたいことです。毎日利用する駅や電車。「もっとこうなったらいいのに!」と思うことが度々あります。アイデアは浮かぶのですが、電車会社に勤めているわけでもない私にそれを実現することはできません。

この記事では、中でも強く望んでいる3つのことを紹介します。電車会社の関係者がこの記事を読んで、感化され、私のアイデアを実現してくださることを切に期待しています。アイデア料は5億円くらいでお願いします。

防音室

先日私がTwitter(くゆ太子 (@studio_mol) on Twitter)で生まれたての赤ん坊のようにぎゃあぎゃあ騒いでいたので見た方もいるかもしれませんが、改めて書きたいと思います。

駅の構内に、証明写真機のように、防音室が欲しい!

添付のイメージの防音室のように、人ひとり分くらいのサイズの組み立て式防音室があります。楽器の練習などに利用される想定のようですね。

学校の行き帰り、仕事の行き帰り。どうしようもなく叫び出したくなることはありませんか。あります。みんな叫びたいはずです。死ね!クソ!普段は口にすることも咎められるような言葉を。あああああ"あ"あ"あ"!言葉にもならない声を吐き出す鳴咽を。

大声を出したいならカラオケに行けばいい、と思われるかもしれません。たしかにカラオケはこの願望を叶えることができる場所ですが、もっと簡易に、叫ぶことを実現できる場所があるべきです。下手な例えですが、写真撮影スタジオがあるのだから、証明写真機は不要だと言っているようなものです。サービスの目指すところが違うのです。

これを「駅ナカ防音室」とでも名付けてみましょう。駅ナカ防音室の機能としては、以下のようなものがいいのではないかと思います。

  • 利用者がいないときは扉が開いた状態
  • 中に入って課金(10分100円くらいが妥当か)
  • 課金に応じて扉が自動で閉まる(外からは開けられなくなる)
  • 100円で10分単位の延長が可能
  • 満足したら終了のボタンを押すことで、扉が開く(10分以上の残り時間があれば残り時間10分ごとに100円返金)
  • 犯罪に利用されるのを防止するため足元をすりガラスにするなどの対策をとる(これで馬鹿なカップルがえっちなことに利用することも避けられそうですね)

雑な試算で、駅ナカ防音室が利益を出せるのか考えてみました。

  • 導入コスト:200万円 ※防音室が100万円くらいで買えそうなので、適当に2倍にしてみた
  • ランニングコスト:2,500円/月×2年間=6万円 ※証明写真機を導入した際の電気代が、2,500円らしい。実際は他にも保守コストがかかりそう

証明写真Ki-Re-i サイドビジネスのご案内|株式会社DNPフォトイメージングジャパン

1日あたり平均5時間程度この防音室が利用されれば、100円/10分×5時間×2年間=219万円で、コストの206万円を超えますね。初期費用を超えたらあとはぼろ儲けです。

雑な試算なので現実にはもっと考えないといけないことが多いかと思いますが、ヤマハは以下のようなサービスを提供しています。

https://rental.jp.yamaha.com/shop/r/r1020/

エアコン付き防音室が13,300円/月でレンタルできるんですね。これにシステム周りを乗せて、仮に30,000円/月で提供できるとしたら、毎日2時間利用されるだけでも100円/10分×2時間×30日=36,000円で利益を出せます。どうでしょうか。十分に現実的に利益が出せそうではないでしょうか。ヤマハさん、やりませんか。

大声を出せる場所というのは、案外に少ないものです。個人的に防音設備を持っている人などほとんどおらず、公共の場では他人を、家では隣人に気を遣って生活しています。福祉の設備として税金を投入して導入したとしても、この駅ナカ防音室には十分価値があるものと確信しています。

重量課金制

「防音室」がメインだったので残り二つはおまけです。

通話料金なんかに適用される従量課金制。誤字ではなく、電車の運賃には重量課金制を適用してはいかがでしょうか。体積の大きな人や荷物の多い人に押しつぶされそうなとき。明らかに人ひとり分のスペースを確保できず座席を隣の人に侵略されているとき。「この人は自分と同じ運賃しか払わずこれだけのスペースを取っているのだ」と怒りがこみ上げてきます。ほんとうんちです。逆に、自身が大きな荷物を抱えているとき、電車が混んでいると周りの人に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

これが、その人の占有しているスペースに応じて運賃が変わったらどうでしょう。スペースを多く取っている人を見ても、まあ、この人はそれに応じた料金を支払っているのだ、と納得することができそうです。逆に、自身が荷物を抱えているときも、それ相応の料金を支払っているのだから、と堂々電車に乗ることができそうです。こども料金と大人料金を考慮する必要も無くなりそうですね。

とはいえ、センサー等を利用して瞬時に体積を計測し電車賃を変更するのは技術的に難しそうです。できるのかな。できるかも。できたらこれがベストです。しかし、重量なら簡単そうです。交通ICカードをピッとしている間にピッと重量の測定を行い、ピッと料金を割り出すわけです。重量と体積には必ずしも綺麗な相関があるわけではありませんが、まあまあ納得感はある気がします。

郵便物は重さや大きさで料金が変わります。それは、重さや大きさで運搬コストが変わるからだと思います。人間だって重さや大きさで運搬コストが変わるでしょう。100kgの人を1000人乗せたら100tになります。これが50kgであれば50tになります。100tと50tでは動かすのに必要なエネルギーが異なり、したがって電気代が異なり、運搬コストが変わるはずです。(まあ微々たるものなのかもしれませんが)

重量をごまかす不正対策や、妊婦の優遇措置など考えないといけないことは多そうですが、電車会社さん。デブからもっとお金を取りませんか。

臭害者利用制限

電車の中の香ばしい方。

「これはですね、えー、まさに、以前にも申し上げましたとおり、つまりは、えー、社会的損失、あるいはですね、えー、まさに、えー、喫緊の課題として憂慮すべき、対策を講じなければならない問題と考えているわけであります。」

仮想安倍首相が話すとおり、電車の中の香ばしい方は明らかな社会的損失です。その方が電車を利用できることより、その他大勢の方が気持ちよく電車を利用できる方がよっぽど良いように思われます。まじめに語ると功利主義の話とか始めないといけないのですが、哲学的な問題は置いておいて、とにかく香ばしい方がイヤ。イヤだ。

とはいえ、排除するのは過激派集団の考え方なので、もう少し穏便な手段を考えてみましょう。

てれれれってれ〜

カオリセンサー!

嫌なニオイを100段階で測定しスマホで可視化、生活習慣臭啓発プロジェクト始動 - Engadget 日本版

空港の保安検査場みたいな装置で、香りを測定しましょう。引っかかったら利用禁止にします。とはいえ、それでは困る方もいると思うので、リセッシュ等を用意します。しかし、根本的に衣服や身体にイヤな香りが付着している方はそれでも引っかかるので、利用をお断りします。(ここまでするなら、シャワー室とかも有料で用意してあげるといいかも)

反発もあるかもしれませんが、そもそも公共の害となる状態の人間が公共交通機関を利用するのが間違っています。タクシーでも使ってください。

重量課金制で挙げた問題と同様ですが、この対応をとれば「自分自身も香ばしいのではないか」との不安を払拭することができますね。また、引っかからないよう人々が努力し、公共の場の美しい空気が保たれることが期待されます。

おわりに

いかがでしたでしょうか。後半二つは実現がいろんな意味で難しそうなので諦めるとして、駅ナカ防音室。これは、これだけはなんとしてでもこの世の中に実現したいです。クラウドファンディングでも公的機関の施策でも金持ちのお遊びでもなんでもいいです。叫ぶ場所を、世の人々に用意してあげてください。お願いします。

スタジアムライブはもう行かない〜2019.6.22RADWIMPSを見て〜




はじめに断っておきたいのですが、私はRADWIMPSというバンドの大ファンです。決して古参とは言えないけれど、『25コ目の染色体』がJAPAN COUNTDOWNのタイアップを受けたときから音楽好きな兄と狂ったように聴き、何度もライブへ足を運びました。夜中に車を走らせて行った「青とメメメ@仙台みちのく杜の湖畔公園」の土砂降りで泥んこの足元も、普段関わることのないピアスバリバリギャルに『有心論』のCDを貸したのも、今となっては良い思い出です。ライブハウスで見た『バグッバイ』の神々しさは、きっと一生忘れることはないでしょう。

ANTI ANTI GENERATION TOUR 2019

そんな大好きなRADWIMPSのライブにここ最近は行くことができておらず、思い立って新作のツアー「ANTI ANTI GENERATION TOUR 2019」に行ってきました。久しぶりに生でRADWIMPSを観るのもあって、胸を高鳴らせて会場へ向かいました。

会場はZOZOマリンスタジアムで、ELLEGARDENの活動再開ライブを場外で聴いたことがあるだけで、中には入ったことがありませんでした。

会場入りして、おびただしい数の人がいて、だけれども最初に思ったことは「へえ、こんなところでライブやるんだ」でした。スタジアムなので仕方がないことなのですが、ステージの横ではいくつもの企業広告が激しく自己主張をしていて、なんとなく、これからライブだ!という高揚感が沈んでしまった気がしました。そうして、あまり乗りきれないままにライブは始まりました。

細かいセトリや、MCについてはここでは書きません。3万人以上の聴衆が生む熱狂のエネルギーは凄まじく、それに応えるべくRADWIMPSのメンバーも熱い思いでライブをしていました。

が。正直に、正直に言って「音楽体験」としては最低なものでした。ボーカルのみならず、コードやリズムの音さえもが広い会場内で反響してぼやけ、乗るに乗りきれず、何が鳴っているのかもよく分からない。広過ぎて観客の手拍子も合わず、会場の一体感もない。曲というものは聞いたことがあればある程度脳内で補完することができるのですが、それもままならないほどぐちゃぐちゃな音。バンドのメンバーも観客も熱い思いでライブに挑んでいるからこそ、実際に耳から入ってくる情報の劣悪さとのギャップを生み、いたたまれない気持ちに襲われながらライブを終えてしまいました。

もしかすると、聴いている場所によっては、上記のようなことはなかったのかもしれません。でも、想像するに、会場の大多数の耳に届いていたのは、バラードもロックチューンも常時テンポに合わないエコーが全楽器にかけ続けられている音楽の体をなしていないものだったのではないでしょうか。

スタジアムは音楽の場所じゃない

このライブを通して、私はスタジアムが音楽のあるべき場所ではないと確信しました。

幼い頃、何度か東京ドームでMr.Childrenのライブを見たことがあって、それはそれでとても楽しかった思い出として残っているのですが、初めてライブハウスでHYのライブを見たとき、その衝撃に心を震わせたのをよく覚えています。音楽が鳴っている間は隣の人とおしゃべりすることもできない爆音で、衣服は音で揺れて、心臓の深いところまで突き刺される体験。確かにそこで音楽が鳴っているという緊張感。感動した私は、完全にライブの虜になったのでした。

Mr.ChildrenRADWIMPSのような超有名なバンドにとって、そういったライブハウスでライブをやることが現実的でないことは分かっているつもりです。大きくてもたかだか数千人しか入らないライブハウスではチケットもなかなか取れませんし、多くのファンに音楽を届けるならば大きな会場を選ぶことは合理的な選択でしょう。

それでも、今回のライブで野田洋次郎さんがMCで言っていた「音楽とずっと、正面から向き合ってきた」という言葉を私は信じたいと思います。わがままは百も千も承知で、もし、本当に音楽をちゃんと届けたいなら、スタジアムで3万人集めるよりも、3千人規模のライブハウスで10回ライブをやってほしい。(もっというと3百人規模のライブハウスで100回ライブして欲しいけどさすがにわがままが過ぎますね…)

もし、今回のANTI ANTI GENERATION TOUR 2019 ZOZOマリンスタジアムのライブがあなたにとって初めてのライブ体験だったなら、一度でいいからライブハウスに足を運んでみてほしいです。もし今回のライブを聴いて、やっぱり音楽はCDやストリーミングの音源を聴いた方がいいや、と思ってしまったなら、それはとてもとても寂しいことです。ライブハウスは先に書いたとおり、本当に音が大きいので苦手な方もいるかと思いますが、きっと今まで味わったことのないような感動が待っているはずです。

今回のRADWIMPSのライブについてあれやこれや悪く書いてしまいましたが、本編最後の『愛にできることはまだあるかい』は、それでも素晴らしいものでした。初めて聴いたにも関わらず、演出も相まって、深く胸を打たれました。

RADWIMPSの音楽が好きだからこそ、次はライブハウスで聴きたいと切に願いDADAをこねたブログにお付き合い頂きありがとうございました!

食べログ星3つと殺された思い出




物騒なタイトルですね。こんばんは、まつをです。シックスパッド的な何かを手に入れて毎晩お腹に電気を流しています。腰に貼るとマッサージみたいでとてもGOODなので皆さんもぜひ。陰部に貼るとインポーコスパークするので注意が必要です。

食べログめっちゃ便利

さて、皆さん食べログを利用したことはありますか。ありますよね。ええ、あります。そうなんです、みんな食べログを使っています。あれほど便利なもの、この世の中に早々ありません。テンガの次くらいに便利です。

忘年会の幹事を任されたとき。旅先でお腹を空かせたとき。女性とデートに出かけるとき。様々な場面で、食べログはあなたを手助けします。ひとむかし前なら、実際に出向いて居酒屋の雰囲気を調べたり、宴会の予約を取るために色んなお店に電話をかけたり、なんてこともあったようです。想像を絶しますね。

そんな食べログを見るとき、やはり気になるのはみんなの口コミ、評価の点数です。写真を見て良いなあ、と思っても、口コミが少なかったり評価の点数か低かったりすると、それを理由に選択肢から外してしまうこと、ありませんか。私はあります。パッケージが良くても口コミ評価が芳しくないアダルトビデオにはなかなか手が伸びないものです。

この口コミや評価はお店にとっても深刻で、高い評価をきっかけに行列のできるお店になってしまうことなんかもあるみたいですね。旅先で、食べログの評価が良いお店に行ってみたら行列で1時間待ち……なんてことを私もしばしば経験しました。

思い出のうどん

母方の祖父母は実家から車で10分ほどのところに住んでいて、一緒にご飯を食べる機会があるとよく色んなものをご馳走になりました。ちなみに祖母は、この世界に3人しかいない私の容姿を褒めてくれる方です。もう2人は母と私です。

ご馳走になったものの中でも特に好きだったのが、祖父母家近くのおうどん屋さんの食事でした。うどんはとにかくコシがあって、もちもちしこしこしてうんまい。天ぷらも揚げたてのサクサク、かぼちゃなんて絶品です。さらにさらにおススメは鳥の唐揚げで、唐揚げというよりも竜田揚げに近い見た目、味なのですが、カリッカリに揚げられていてこれがもう涙ちょちょぎれものです。

大人になって実家を離れてからというもの、すっかり足が遠のいてしまったあの思い出のおうどん屋さん。なかなか名前も思い出せず、地名とうどんのキーワードでなんとか見つけ出し、名前を思い出し、喜び勇んで私はとあるリンクをタップしました。



そして、私の思い出は殺されました。



私の目に映ったのは、思い出のおうどん屋さんの店名横に星3つが並べられた食べログでした。

食べログの評価がすべてだなんて、私も思いません。それでも、私の中であのおうどん屋さんは文句なしの星5つで、亡くなった祖父との思い出で、離れ離れに暮らす家族との思い出で、私にとってはかけがえのない、この世界で一番のおうどん屋さんでした。それが、名前も知らない人たちによって付けられた星3つで、否定されたような気持ちになってしまったのです。

食べログはめっちゃ便利だけど

食べログはとにかく便利です。食べログの無い生活はもはや考えられません。色んな場面で私たちの役に立ち、生活を支えていると言っても過言ではありません。

でもたまに、たまには、食べログなんか調べないで、ふと目に留まった町の定食屋さんに、ちょっと高級そうなお寿司屋さんに、怪しい雰囲気のうなぎ屋さんに、古ぼけた木造建てのおうどん屋さんに、入ってみませんか。もしかしたらそのお店が、誰の評価なんかも関係なく、あなたにとって一生の思い出に、一番のお店になるかもしれません。

逆に、入って失敗だったと腹を立ててお店を出てしまうかもしれません。でも、口コミ評判サイトで調べて、良さそうな、あるいは無難なお店だけを選んでいたら絶対にできないような、そんな経験を得る可能性が、そこにはあると私は信じています。

思い出のおうどん屋さんには、夫と娘を連れてつい先日行ってきました。最高においしくて、家族も大喜びで、食べログには書かないけれど、お店の名前も誰にも教えないけれど、思い出のおうどん屋さんはやっぱり、私にとって星5つのおうどん屋さんでした。

ぼくは友達と遊びたい



こんにちは、まつをです。久しぶりにブログを書きます。本題の前に近況を話しますと、先日キングダムハーツの1.5、2.8、3を購入して廃人と化しています。もはやカイリのことしか頭にはありません。子どもの頃、カイリへの愛情が歪みに歪んで宇多田ヒカルに恋をしていたのはここだけの秘密です。

遊びたい

さて、本題です。タイトルに書いたとおり、ぼくは友達と遊びたい!遊びたい!遊び足りない!遊び足りない!繰り返される諸行無常!よみがえる性的衝動!冷凍都市の暮らし!行方知れずのアイツ!いつのまにか姿くらまし!

こんな話をすると「お、飲みに行こうよ!」みたいに声をかけてもらえたりしますが、ちがう、そうぢゃない。頭の中のJKが首を横に振ります。その時、揺れる髪からふわりとバーベナの香りが漂って脳内麻薬勃起侍になります。

いえ、飲みに誘ってもらえるのは本当にありがたいことで、嬉しいものなのですが、ぼくの言っている「遊び」は、そういうことではないのです。ぼくたちはいつのまにか、遊び=飲みと言われても違和感を感じない大人になってしまいました。

思い出してみてください。ぼくたちの陰部がまだモンジャラではなかった頃、ぼくたちの遊びといえば、町中を走り回り、自転車で駆け抜け、隣家の窓ガラスに石を投げてヒビを入れ、駄菓子屋の蒲焼さん太郎をつまみに公園で水道水を飲む。そういうものだったのです。酒も女もタバコもギャンブルもいりません。それでも馬鹿みたいに笑いあって、ヘトヘトになって、17時のチャイムが鳴ったら「じゃあね、バイバイ」とだけ言いあって別れてしまう。

どうしてぼくたちは、あの遊びをしなくなってしまったのでしょう。いつしか遊びといえばボーリングになって、スポッチャになって、カラオケになって、ショッピングになって、旅行になって、スノボになって、女遊びになって、麻雀になって、パチンコになって、飲み会になって、ゴルフになって……

ぼくは、遊びたい。町中にある、名前があるかどうかも分からない公園で。大人がそんなことをしていたら不審かもしれないけれど、そんなの、誰が決めたんだ。ぼくは遊ぶ、遊ぶぞ。

そんなわけで、ぼくが今遊びたい思い出の遊びをいくつか紹介します。お、と思うものがあったら今度一緒に遊びましょう。

ベーゴマ

コマでもなくベーゴマです。ベーゴマ。あれ、めっちゃ楽しいのをご存知ですか。

ぼくが小学生高学年の頃に現れた用務員さんはエレキギターが弾けるカッコいいおっちゃんでした。一方ぼくは、周囲から貴乃花と揶揄されてもめげずにチョコボールを食べ続け金のエンゼルを引き当てるような子どもでした。

シンプルにデブ(SD:Simple Dev)だったので、この頃のぼくには休み時間に校庭で駆け回るようなわんぱくさはありませんでした。そんなとき、カッコいい用務員さんはSDなぼくにベーゴマを教えてくれたのです。

ぼくはベーゴマに夢中になりました。コマとコマがぶつかり合う瞬間の「キンッ」という音、不規則な動き、時に起こる火花。鉄の匂いが染み付いた指で、人生をかけるみたいに何度も紐を巻く。

休み時間に用務員室の前でベーゴマに人生をかけるSD。この頃、不確定だったぼくの未来は非モテルートに確定されたように思います。

マンホール踏み

ぼくの地元ではなぜか、缶蹴りよりもマンホール踏みという遊びがポピュラーでした。その名前どおりの遊びで、オニが30秒数えている間に散り散りになった子どもたちが、オニの目を盗んでマンホールを踏む、というもの。缶蹴りのマンホール版ですね。同じように、オニは隠れた友達を見つけたら、先にマンホールを踏むことで相手を捕まえることができます。

よくよく考えてみると、見つけただの見つかってないだの、先に踏んだだの、誰が判定できるわけでもないので、ぼくたちの遊びはかなりの比重でぼくたちの誠実さに委ねられていたように思います。

ところで、「マンホール」ってとても、

たすけ

たすけ、という遊びをご存知ですか。これはローカルな遊びですか。もしかしてぼくはいま着々と自身の出身地を晒していますか。

ぼくたちのたすけ、とは、ドッジボールの亜種のようなものでした。

  • 陣地はなく、一緒に遊んでいる全員が敵
  • ボールを持っている人は3歩だけ動ける
  • ドッジボール同様、当てられた球を落としたらアウト
  • アウトになったら、その相手がアウトになるまで場外(転がったボールを拾ってあげたりはするが、ドッジボールの外野とは異なり戦うことはできない)
  • 最後まで残った1人が勝ち といった具合です。

これがまあ、なかなか盛り上がるのです。場外になったプレイヤーは、早く参加したいので自分を倒した相手がアウトになるよう他のプレイヤーを応援します。だいたい残り2人くらいになるとどちらも大量の犠牲の上に立っているので、他方がやられた瞬間に場外だったみんなが戦場に戻ってくるわけですね。

ぼくは運動音痴な上にSDだったので無論球技も苦手だったのですが、たすけは好きでした。決して強くもないしすぐにやられるのですが、球技にしては珍しく自分が下手くそでも誰にも迷惑をかけないんですね。その上、多くの人が一同に参加できる。

こういう球技って、実は他に無いんじゃないかと思います。大抵の球技はチームを求められるし、そうでない球技は個人戦で参加できる人数が限られます。自分以外みんな敵、というのはとてもスリリングですし、個人戦といいつつ自分がやられたら敵討ちをして欲しいので誰かを応援するというイベントが発生し、その誰かがやられてもそもそも先にやられた自分のせい、という構造になっているわけですね。

あー、書いていたらめっちゃたすけやりたくなってきました。ちなみにたすけは10人以上の大人数でやると楽しいです。

秘密基地作り

君と夏の終わり 将来の夢

大きな希望 忘れない

10年後の8月 また出会えるのを 信じて

最高の思い出を…







めんまあああああああああああああ!!!!!!!!





ぼくの地元では、秘密基地作りとはもっぱら「穴を掘ること」でした。まったくもって意味不明なんですが、秘密基地作りと称してがむしゃらに穴を掘っていました。それはもうamazarashiもびっくりするくらい穴を掘っていました。きっと、あのまま掘り続けていたら地下都市カッパドキアが出来上がっていたのだろうと思います。

秘密基地作り(穴掘り)の副産物的な遊びとして、泥だんご作りがありました。泥だんご作りはなかなか奥が深く、土質を考慮してコア部分と表層部分で使用する土を使い分けたり、混ぜる水量を調整することでより美しく、硬い泥だんごを作り出すことができます。

だいたい秘密基地作りは草陰になっているマンションの裏などで秘密裏に進められていたので、誰かが近づいてきたら泥だんごを投げつけて威嚇するわけですね。とんだクソガキですね。

秘密基地作りは複数日かけて進められるのですが、穴はある日突然、まるで全てが夢だったかのように埋め立てられて消えているのでした。あの時の寂しさ、悔しさは今でも心に刻まれ、幻の地下都市に想いを馳せてしまいます。

マンション鬼ごっこ

これ!これがいまやりたい!マンション鬼ごっこ!!

名前のとおり、マンションで鬼ごっこをするというもの。逃げていい範囲はマンションの敷地内に限られ、エレベーターや非常階段を駆使して逃げたり追いかけたりするわけですね。マンション内は死角も多いのでかくれんぼ要素もあり、サバイバルの様相を呈するのです。加えて住人に見つかると怒られる、というスリルもあり、住人とすれ違うときはあたかも「友達の家に遊びにきたふり」をしたりします。

SDなぼくは鬼ごっこをすると、すぐにオニになり誰も捕まえられないため、みんなから憐憫の目を向けられ「もういいよ」と言われタッチさせてもらえるという、惨めな子どもでした。

そんなぼくでも、マンション鬼ごっこなら互角に戦えました。「エレベーターで降りていったな…2階で待ち伏せるか」みたいに戦略次第では身体的な能力の差を埋めることができたのです。エレベーターに逃げ込んで扉が閉まるまでの間、オニが向かってくるスリルはさながら、サイレントヒルの廃病院で三角頭が追いかけてきたときのようでした。

終わりに

遊びたい、などと声高に何度も言っていますが、ぼくはあまり友達を大切にできませんでした。怠惰で年賀状はもらっても返さず、自分から友達を何かに誘うこともしませんでした。そうこうしているうちに、小学生の頃いっしょに遊んでいた友達とは誰とも連絡を取り合わなくなってしまいました。

今でも、昼間、家で1人寝転んでいると、約束もないのに窓の外で「あそぼー!」と騒ぐ友達の声が聞こえてきたような気がして、懐かしいような、寂しいような気持ちに襲われることがあります。

「ねえ、大人って楽しい?」

そんなとき、SDの頃のぼくが目の間に現れて、無邪気な笑顔で今のぼくにそう尋ねます。うーん、どうだろう。頭の中のJKが苦笑いをして首を傾けると、揺れる髪からふわりとバーベナの香りが漂って脳内麻薬勃起侍になってしまうのでした。

"unrecognized privilege: 39" Amazon RDS for PostgreSQL

Amazon RDS for PostgreSQLを利用してエラーにハマったのでメモ。

psqlから発行したSQLは次のとおり。

select * from information_schema.columns;

すると次のエラーが発生。

"unrecognized privilege: 39"

Amazon RDSでDBインスタンスのバージョンは10.4

結論

Amazon RDS for PostgreSQL10.4のバグ(あるいは意図された仕様?)っぽい。

確認したこと

  • Amazon RDS上のPostgreSQL10.4で発生する
  • 自PCにインストールしたPostgreSQL10.4では再現しない
  • Amazon RDS上のPostgreSQL10.1では再現しない

対処方法

RDSのインスタンスをPostgreSQL10.1にバージョンダウン

(対処方法と言ってよいのか…)

詳細

どうも、information_schema.columnsビューだけが開けない。information_schemaの他のビューはいくつか確認することができた(具体的なビュー名は忘れてしまった)

権限周りの設定を誤ったかと思いあれやこれや調べたものの、RDS上のマスターユーザでも発生していてAWS特有の事象なんじゃないかなあと思ったら出てきたのが下記のAWSフォーラムのやり取り。

https://forums.aws.amazon.com/thread.jspa?messageID=860564&tstart=0

冒頭に書いたようなことが大体書いてある。 ただ、半年前くらいから発生している事象のようなので、もしかしたらパラメータ変更したりすれば対処できるんじゃないかという気もする。(AWSが意図して初期設定では見られないようにしている可能性)

色々とインターネットの海を潜ってみたもののAWSのコメントは特に確認できず。正しい(バージョンダウンではない)対処方法をご存知の方がいましたらご教授願いたいです。

いずれにせよ、AWS for PostgreSQL10.4を利用する予定がある方は、information_schema.columnsにご注意をば。