時計の針を

私は1日だけ時を戻せることができて、だから、どうしてもやり直したかったことや、取り返しが付かなくなってしまうんじゃないかということがあると、そっと時計の針を回してもう一度今日を明日にする。

たいてい自分のことに使うばっかりで、もちろん誰かに話したこともなければ、誰かのために使ってあげたこともない。それどころか、自分のために時を戻しても未来を知らない私は、そうして選び直した明日が私にとってより素敵なものなのかも分からない。

際限なく何度もやり直して人よりずっと長く過ごした中高時代が、結局何もないままに過ぎて。期待することもやめて大学では一度も使わなかった。だから、今もまだ昔のように時を戻せるのか不安になりながら、眠りにつくほんの少し前に時計の針を回した。

やり直したいというよりは、知りたいことがあった。こんなにも楽しみにしていた夜景を見に行くデートに最後まで来なかった彼が、本当はどこで何をしていたのか。ニ時間も後になって、ごめん、寝てたとだけ連絡をよこした彼が、嘘をついているのは確かだ。家に行ったけど居なかったじゃない、とは言えなかった私はそれを伝えることもなく彼を振ってしまった。

もやもやに頭を悩ませるのは嫌いだ。もう信じられないと言って彼を振った私は間違っていなかっただろうか。家に様子を見に来るとは思わなかったのか。他の女と遊びに出ていたのかどうか知らないけれど、私が彼を振る道理がそこにあれば良かった。

窓から差し込む朝日の暑さといつもより早い目覚まし時計の音で起きると、日付は昨日のままだった。テレビを付けて確かめる。大丈夫、今日の夜は彼とデートだ。

どうせデートには現れない彼の動向を見逃さないようにと、朝から彼の家へ向かった。会社には体調不良とだけ伝えた。真実を知ったらまた今日をやり直せばいい。便利な力だ、と他人事のように思う。

彼は8時にいつも通りのスーツに身を包んで家を出た。会社にもまっすぐ向かった。お昼に定食屋に入った。18時、定時を30分過ぎて会社を出た。待ち合わせまで1時間半。一度家に帰るには少し足りない時間。待ち合わせの駅へと向かう電車。乗り換えで歩く暗い外の道。そこで彼は立ち止まった。立ち止まって何かをじっと見ていた。最初は分からなかった。

猫が死んでいた。

車に轢かれたのか、原型をとどめていない黒猫が、無残にも道路脇に打ち捨てられていた。彼は呆然と立ち尽くしてしばらくそれを見た後、スーツの袖を少したくし上げてそれを持ち上げた。

振り返った彼に、慌てて木陰へと隠れる。彼は猫を抱えて右往左往してから、公園を見つけて草場に歩み寄った。街灯に照らされないように、暗いところを選んで彼は穴を掘り始めた。素手で、穴を掘っていた。ずっと、ずっと穴を掘っていた。

耐えられなくなって、私は踵を返した。見たくないものを見た。知りたくないことを知った。

私は正しくなかった。

彼の憐れむでもない、悲しむでもない無表情を思い出しながら眠りにつけない夜。もう彼があんな顔をしないようにと、私は時計の針を戻さなかった。