12年前の自分を清算した話

 

 

教室には信頼している部活動のメンバーがいて、馬鹿話をして笑い合い、何気ない日常と呼べるものがだらりと横たわっている。何か、何か忘れているような、そうだバンドのコピー曲の練習をしていない、のに本番直前だ。どうする?適当にアレンジするか、いやでもキメすらうろ覚えだ。ふと気がつくと試験会場の真ん中、目の前の数学の問題に手を動かすこともできず焦燥感に襲われ、手汗で解答用紙がシワになる。かと思えば突然舞台の上に立ち、まさに演奏の真っ只中、自分のパートになって一生懸命吹き込んでも金管は鳴らず、それでも息を吹き込み、苦しく、冷や汗をかきーーー

 

目を覚ます。そういう夢を見る日が1年に何度かあり、ぼやけた頭の中に甘味とも苦味ともつかない後味を残し、胸の奥で燃え切らずに残ってしまった木片がつっかえたまま重い頭を持ち上げて1日が始まります。  

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まだ言葉にするのが非常に怖いのだけれど、いまの自分の言葉で書かないと鮮度をなくし意味を無くしたり、また本質とは離れた意味づけをして作り物にしてしまいそうなのでこの記事を書き起こしています。

晦日から実家に帰り正月を迎えました。正月を家族揃って過ごしたのは数年ぶりで、それはそれは穏やかな1日だったのですが、それは別の話として今回は実家の大掃除をした話です。

恥ずかしながら私は生活というものが恐ろしいほどにダメで、いまでこそ少しマシになったものの、端的に言えばだらしのない性格で身の回りのことをなんとかするのがとても苦手でした。そんなわけで自室は10年以上前に出て行ったときのまま、まるでタイムカプセルのようにその形を残しており、「汚部屋」という言葉だけでは語り尽くせないようなひどい有様だったのです。

ずいぶんと前からこのことで家族に非難されており、どうにかせんとあかんとは思っていたものの手がつけられず見て見ぬふりをしてきました。が、今年はゲームで周回したらいつのまにか開いていた隠し部屋の鍵のように「片付けよう」という気持ちが沸き起こり大掃除に着手しました。

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この汚部屋には主に3つの強大な敵がおり、ひとつはタンスの上のモラトリアム、ひとつは本棚のフリをしたミミック、ひとつは勉強机のサンクチュアリです。これらをいっぺんに相手にするのは敗北色が濃厚ですから、私は初めにモラトリアムに挑むことにしました。それはそれは凄惨な戦いが繰り広げられることになったのですが、ここではその一端をお見せします。

お分かりでしょうか。お分かりですね。こちら、賞味期限が比較的長いペットボトルのお茶ですら2012年11月、ドーナッツに至っては消費期限2012年3月となっています。2022年じゃないですよ。2012年です。「自然な香りとまろやかな味わいが特徴です。」じゃあないんだよ。時の流れという暴力的な自然の香りと不自然なとろみのあるまろやかさだよ。

とまあこんな具合に自身のあまりのだらしのなさに辟易しつつ片付けをしている中、ふと何か違和感を覚えました。タンスの上のモラトリアムには高校時代の遺物が積み上げられていると思っていたところ、蓋を開けてみるとそこには特定の時期のものが目立つのです。高校1〜2年のものはほぼなく、卒業前あたりのものがそっくりそのままの形で残っている。ちなみに高校を卒業してからもこの部屋に1年ちかく住んでいます。「卒業してから掃除サボったんでしょ」で終わらせることもできるのですが、ここには何か自分自身を紐解く鍵があるように思えました。

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私は大学受験に失敗しています。ここでいう「失敗」は「第一志望校に行けなかった」ことを指しています。目標が実力に適っていなかったとも言えるものの、学力は努力次第である程度伸びるはずです。私の学力は高校1年からメキメキと下降しさらに3年から下手くそな折り紙飛行機のように急降下しました。部活動の引退は3年の9月の文化祭で、それまで日々部活動に明け暮れ文化祭が終わると同時に気持ちを切り替えるぞ、と考えていました。

が。ぜんぜん、ちっとも、これっぽっちも切り替えられなかった。突然部活動という居場所を失ったことに折り合いをつけられず、それからの日々はいまとなっては何をしていたのかもまったく思い出せないほど、何度も淹れたティーバッグのような薄い時間を過ごすこととなりました。唯一思い出せるのはアニメ『けいおん!』にどハマりしたことで、12月には映画『けいおん!』を見に1人映画館へ足を運んでいます。

自堕落な生活を続けたまま、必然的な結果としてセンター試験で大ゴケし第一志望校を受験する権利すら逃し、さらに生活は荒んでいきました。朝方4時、5時まで2ちゃんねるで怖い話を読み漁り、昼過ぎも過ぎ、3時ごろに目を覚まして近所のショッピングモールのフードコートで参考書を開く。SNSを眺めればどこどこに受かった、どこどこに落ちた、と友人たちの結果報告があり「わたしはいったい何をしているんだろう」と自問自答し、答えは出ず、また朝方まで無味乾燥な時間を過ごす。あの頃抱えていた将来への不安や居場所を失った寄るべなさ、孤独感、自己嫌悪感はもう二度と味わいたくない負の連鎖でした。

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あのときから10年以上時が経ち、いまではあの日の私はもはや他人です。当時の私はそう語られることをきっと嫌がるだろうけれど、いまの自分だからこそ客観的に言えることがあります。

あの頃の私は、寂しくて、虚しくて、苦しくて、不安で、

どうしようもなく依存してしまうくらい「高校生活」という居場所を好きでいた。

気心の知れた友人にはあの頃の自分を笑い話にすることがよくありました。そんなふうに話すことで、自分は自分の過去を受け入れられているものだと思っていたのですが、今回の大掃除の中で誤認であると気づいたのです。

大切な居場所を失うことになるという現実ときちんと向き合うことができず、それでも前を向くために、不器用なやり方で、思い出に蓋をした。つまり私はあの時、本当は咀嚼し飲み込まなければならなかった色んな感情を口にせず逃げてしまったのです。整理されず、片付けられず残っていた思い出の品の数々がその証左です。

筒に入れられた卒業証書。飲みかけのコンビニのお茶。後輩の色紙。未開封リクルート進路アドバイス本。ファイリングされた楽譜。私にはこれらの魑魅魍魎が救難信号に見えました。

もう、もういいでしょう。あの頃のどうしようもない自分を、許してあげても。粗末に扱ってしまったたくさんの大切なものからの呪いは一生引きずって行かなければなりません。でもその戒めはいまの自分が引き受けて、地縛霊のようにタンスの上に留まっていた私のモラトリアムは、もう成仏してあげていいはずです。

ごめんなあ、ずっと、こんなところに閉じ込めて。寂しかったなあ。

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だらだらと気色悪い自分語りしやがって、怠け者で片付けしてなかった言い訳してるだけだろ!という気もしないでもないですね。うるせえ!感傷に浸らせてくれ。

悪魔退治を終えこうして12年前の自分を清算したことで、いまはとても清々しい気分です。今なら高校生活のことを心から懐かしみ思い出話に花を咲かせられそうな気がします。久しぶりに会って、話して、馬鹿笑いできたらいいねえ。

 

 

今年はもっと楽しくなるよ。 ね、ハム太

へけっ!!!!!!