今を生きる君へ
「女ってほんと金がかかるよな。デート代とかプレゼントとかさ。無駄金もいいところだよ。もっと自分のために使えば良かったわ」
そう言って悪態を吐く友人を見て、僕はとても悲しくなってしまった。友人は昨晩、二年半連れ添った彼女と別れた。彼女は浮気をしていたそうだ。
悲しかったのは、彼が浮気をされていたからではない。別れた彼女に悪態を吐いていたからではない。
彼が、過去の自分を否定してしまったからだ。
デート代は自分持ちだったと彼は言う。そして、勿体無いことをしたと加える。プレゼントにたくさんお金と時間をかけたと言う。そして、無駄なことをしたと加える。
励ましながら、頷きながら、僕は思い出していた。あの日、君はそれを無駄だなんて思っていなかった。
先週仙台まで遊びに行ったんだ。
二周年記念で指輪を渡そうかな。
そう話す君は、とても楽しそうだったじゃないか。君は、大好きな人と過ごす時間にその対価を支払うことを厭わなかった。彼女と遊びたいと思い、自分が多く負担することを甘んじて受け入れていたはずだ。否、進んでそうしていたのでは。プレゼントにしたってそうだ。彼女を想う気持ちを形にしたかったのだろう。
結果だけを見つめて、彼は過去の自分自身の気持ちを否定してしまった。続けて彼は話した。
「もう一人でいいや。自由だし、楽だしな」
諦観を語る彼の顔は、笑顔の中に苦々しさを携えていた。彼は今回の苦い経験を、数学的帰納法を用いて未来にまで適用してしまっていた。彼が自由を求めているようには到底思えなかった。ただ、未来に期待することに、未来の自分自身に否定されることに怯えているように見えた。
残念ながら、未来は僕らの手の中になどない。人生は自分だけが描けるキャンパスではない。それはいつだって他者によって、外力によって形を変えてしまうものだ。
僕には結婚を考えた女性が二人いた。そのうちの一人は五年間付き合った。好きだった。婚約をした。籍を入れる前日に、僕の前から消えた。あなたを心から好きと思えたことは一度もなかった。置き手紙にはそう書いてあった。
結果だけ見れば、確かに僕は惨めかもしれない。だが、あの時の自分は、あの時の精一杯を生きていた。どんな結末が待っているかも知らずに、彼女を愛していた。
そして、僕は、幸せだった。
正直に話せば、彼女とのバッドエンドは僕を絶望させた。何も信じられなくなった。全てが虚しくなった。
それなのに僕は、自分が幸せだったことだけは、どうしても否定できなかった。だって、僕は幸せだったのだ。過去の自分の思いを、今の自分の勝手で改竄することはできなかった。
結婚を考えたもう一人の女性を、僕は同じように愛した。過去の暗い思い出は未来の景色を歪め僕を臆病にさせたが、その人を想う気持ちは本当だった。先月、僕は彼女と結婚した。
幸福なことに、未来は僕らの手の中になどない。人生は自分だけが描けるキャンパスではない。それはいつだって他者によって、外力によって形を変えてしまうものだ。
だから僕たちは、自分自身を生きるしかないのだ。
親友の口癖をよく思い出す。
「過去の自分を否定するな。未来の自分に怯えるな。今の自分を生きろ」
魅力的な人だった。尊敬していた。18歳のとき交通事故で死んだ。あまりにも儚く、美しい人生だった。
僕は親友よりもずっと迷いながら生きている。腐ることもよくある。そんな僕の言葉は響かないかもしれないが、君に伝えたい。
愛した人に裏切られた君へ。
今を生きる君へ。
過去の自分を否定するな。
未来の自分に怯えるな。
今の自分を生きろ。