部室で見つけた鍵の話

 

あの頃の僕は、途方もなく無邪気だった。自分のことを誰よりも特別だと思っていたし、いつの日か、歴史に名を残すような偉人になって人を救ったりするのだと、そんなことを信じていた。

 

あの日、僕たちは学校の隅に追いやられた薄暗い物置小屋のような部室の中でとんでもない物を見つけた。

 

アンプの物陰から出てきたのは、1つの鍵だった。

 

形状から、すぐにそれが「学校の」鍵であると分かった。本来ならば、学校の鍵は全て職員室で管理されていて生徒が所有することはない。持ち出すにもいちいち申請が必要で、顧問の許可なしには鍵を所持することもできなかった。

僕たちははやる気持ちを抑えて、周囲に先生や生徒の姿がないことを確認して、部室の鍵穴にそれを差した。いとも簡単に、軽い音を立てる。扉は開かない。僕たちは顔を見合わせて、確かめるように、今度はそれを反対周りに回した。カタ、と音が鳴る。扉が、開く。

部室に駆け込んで、僕たちは大声ではしゃいだ。部室の鍵を開け閉めすることができるだけのそれが、まるで自由の象徴みたいだった。なんでもできるような気がした。しかもその鍵の存在は、僕たちだけが知っている。僕たちだけが特別に、持っている。誰かが作った、秘密のスペアキー

 

ひとしきり騒いだあと、僕がその鍵の所有者に任命された。かくして僕たちは、顧問の許可なしでも部室に出入りできるようになった。もちろん、存在が明るみになることを最も恐れていたので、使うのはせいぜい忘れ物を取りに来るときくらいだった。

 

その鍵が、本当にとんでもないものだと知ったのは、それからしばらく経ってからだ。

 

当時僕は兼部していた。どちらも音楽系の部活で、だから同じように、薄暗い物置小屋みたいな部室が別にあった。急ぎの用があり部室に入ろうとしたものの施錠されており、さらに困ったことに鍵を持ち出している部員とは連絡が取れない状況だった。

どうしてその選択肢を思いついたのかは今でも分からない。僕は、あの別の部室のスペアキーを取り出し、そして差した。そして、あろうことか、鍵が、開いた。背筋に電流が走るような衝撃を覚えた。つまり。つまりこの鍵は。

 

それから僕は、秘密を共有する彼らにこのことを伝えた。皆、考えることは同じだった。

 

職員室から遠い、視聴覚室へ行った。

鍵を差す。

開く。

 

僕たちは、これで確信した。確信したけれど、信じられなかった。だから、分かっている答えを答え合わせするみたいに、手当たり次第に、鍵穴を見つけては同じことを繰り返した。

 

その鍵は、学校中の至るところを開け閉めできる、マスターキーだった。

 

どうしてそんなものがあの部室の中にあったのか。到底検討はつかなかったけれど、確かにそれは学校のマスターキーで、絶対に生徒の手の内に存在してはならないものだった。僕たちはワクワクやドキドキを通り越して、嫌な汗をかいていた。たぶんこれは、バレたら、説教とかそんなのでは済まないものだった。

散々悩んだ挙句、結局その鍵は、最初に見つけた後のように僕の手元で管理され、そして頻繁に利用されることはなかった。僕たちには「どこにでも自由に出入りすることができる」という状況だけで、十分だったのだと思う。

 

それでもときどき、僕はこの鍵を使った。

その鍵の存在を確かめるみたいに、トイレの用具入れを開けた。特に面白いものは入ってなかった。

放送委員しか出入りできない放送室を開けた。見たことも無い機械が並んでいた。

夕暮れ時に音楽室を開けた。グランドピアノが夕陽に照らされていた。

休日を狙って校長室を開けた。怖くて中には入れなかった。

秋になると屋上を開けた。プールサイドで読書をした。

 

きっと、悪いことに使おうと思えば色んなことができたと思う。女子更衣室の盗聴とか。職員室の答案を盗むとか。そんな度胸はなかったけれど、僕はこの鍵の存在で、きっと生徒の誰よりも「自由」だった。その自由に、僕は何度も救われた。

 

時が経って、卒業が近づいて、僕はこの鍵を後輩に引き継ぐことにした。彼らも賛同した。この鍵はこの先ずっと、生徒たちの手の中に、隠密に、引き継がれるべきだと思った。僕にとってそうだったように、この鍵が誰かの救いになると思った。

信頼していた後輩に全てを伝え、鍵を渡すと驚いた顔をしたが、その目はキラキラしていた。彼もまた、この鍵を誰かに引き継いでいく。僕は偉大な歴史の一部を担ったみたいに、誇らしかった。

 

あれからもう、10年以上の年月が過ぎた。無邪気だった頃の僕はどこへやら、ありきたりで特に面白みもない日々を過ごしている。特別だった頃の僕はもういない。誰にでもできそうな仕事を、誰にでもできそうな手順でこなし、誰にでもよくあるような愚痴をこぼして、そして繰り返す。

そういえば今朝、ネットニュースに母校が載っていた。

 

「○○○○○○○○校2年女子生徒、屋上から飛び降り自殺か。女子生徒は病院に搬送されたが間もなく死亡が確認された。学校関係者の話によると、屋上は普段施錠されており生徒が出入りすることはできないという」