前澤友作はお金と知名度で命を弄んでいる

今朝方、こんなツイートが流れてきました。

https://twitter.com/yousuck2020/status/1084298034870026240?s=21

f:id:Matsuwo:20190114131336j:image

私はこれを見て、本当に嫌な気持ちになりました。こんなに嫌な気持ちになったのは、村本大輔のツイート以来です。

http://matsuwo.hatenablog.com/entry/2017/10/24/213448

どうしてこんな嫌な気持ちになったのか、しっかり言語化しておきたいと思いこの記事を書いています。

結論としては、私は前澤友作のツイートを見て、人の命が弄ばれていると感じました。

「皆さんのRT1件につき10円を付け加え寄付します」

この言葉は、この行為は、あまりに命を軽んじています。大衆の憐憫や同情を餌に、情報を拡散させようとするやり方が吐き気を催すほどいやらしく見えました。

それと同時に、お金と知名度のある人間に目を付けてもらえることで、救われる命と、救われない命が決まってしまうということ。命の重さに大小なんてないのに、ほんの少しのきっかけで救われたり、救われなかったりする。こんな風に人の命が、人の手のひらの上で転がされていることに、これ以上ないくらいの不快感を覚えたのです。

 

言いたかったことは以上のとおりなのであとの文章は読み飛ばして頂いてもよいのですが、リプライ欄を読んだりして思ったことをせっかくなので書き残しておきます。

 

お金の使い方は持ち主の自由だけれど

ツイートのリプライ欄を読んでいると、下記のような論議がなされています。

  • せっかくなら財団を設立したり、もっと有意なお金の使い方がある
  • 他にも助けを待っている命があるのに、その命にだけ救いの手が差し伸べられるのは不公平だ
  • そのお金は前澤友作の持ち物なのだから、使い道は自由である
  • お金持ちといえど、そのお金は有限なのだから、全ての人に手を差し伸べられる訳ではない

どの意見も、正しい、と感じました。お金の使い方について意見を述べているものはたしかに理想論で間違っていないけれど、有限のお金の中で何をなすかはその人の自由です。救われる命と救われない命の不公平を感じるのも正直な気持ちですし、だからといって誰も彼もを救おうというのは無理な話です。

正直なところ、私は前澤友作が自身のお金をどのように使おうが何も思いません。それがスポーツカーのためであろうと、彼女とのホテル代であろうと、風俗であろうと、不動産であろうと、困っている人への寄付であろうと、彼の勝手です。

でも、そのお金の使い道を他人に豪語するのは傲慢な行為だと、私は思います。特に、寄付というのはとてもセンシティブな行為で、他人にひけらかしたりするべきではないと考えています。例えば、街角で、周囲に一万円札を見せびらかしてから募金箱に入れることがあるでしょうか。寄付という行為はその金額の大小で評価されるべきものではないし、個々人の裁量によって静かに行われるべきものだと思います。(この辺りは、有名なYouTuberが寄付した動画をアップして評価されていたりするので、私の感覚が古いのかもしれません)

少なくとも、今回の件のようにRT数に応じて寄付額を増やしますという宣言は、スポーツカーを自慢されるよりもよっぽど不快なものがあります。前澤友作という人は、その命のために自身がどれだけの寄付を行いたいかという明確な意思などなく、情報の拡散のためにお金を利用しているだけのように思えるのです。

 

RT1件につき10円、というやり方だからこそ

リプライ欄を見ていると、RT1件につき10円、という方法で見事に多くの人々に問題提起ができたのだ、という擁護の声があります。これにも、首を傾げざるを得ません。いくらなんでも好意的に捉えようとし過ぎではありませんか。

現在でもすでに40万件以上のRTがあり、たしかにこのやり方だからこその数字だと考えられます。しかし、果たしてこのやり方が本当の意味での問題提起になっているでしょうか。私はこのRT1件につき10円という響きに、100名様に100万円を現金でプレゼントします、と同じものを感じました。実際に、上記の募金のためのツイートに付される文章がRT1件につき10円であっても、100名様に100万円であっても、なんら変わりはなかったように思います。私には、寄付を呼びかける前澤友作のツイートが、お年玉プレゼントのツイートと全く同じ遊び心だけで行われているように見えて仕方がありません。

心臓移植とその寄付、命のこと。これらの話は、こんな軽い言葉で扱われて良いものだとは思えません。

「この件に心を痛め、寄付をしました。皆さんも情報の拡散、寄付にお力添えください」

たったこれだけの言葉で良かったのではないでしょうか。真摯さを欠いた情報の拡散で、果たしてどれだけの方にしっかりと問題提起ができるのでしょうか。申し訳ありませんが、私は前澤友作のツイートを見て心も痛めませんでしたし、力を貸したいとも思うことはできませんでした。

 

心臓移植の問題について

この問題について、私は正直あまり知識がありません。誤ったことを書いていたらご指摘頂ければと思います。

 

簡単に言うと、心臓移植とは末期の心疾患で代替治療の方法がない患者さんを、脳死状態の臓器提供者の健康な心臓を以って治療することです。

日本においても1997年に臓器移植法が施行され、脳死後の臓器の提供が可能となりました。2010年には改正されたものが施行され、本人の意思が不明であっても家族の承諾で提供することが可能となりました。また、この時15歳未満の臓器提供も可能となりました。

ただ、残念ながら日本のドナー提供者は他国と比べるとかなり少ない、というのが現状のようです。したがって、臓器提供が必要となる少なくない患者さんが、治療を受けることができないでいます。そのため海外で治療を受けるという選択肢を取ることになるのですが、かなりのお金が必要となるようです。

今回前澤友作が取り上げた件は、心臓移植を余儀なくされたとある子どもが日本では治療を受けられず、海外で治療を行うために寄付を呼びかけているものです。気にかけられた方は、寄付を行うと良いと思います。

https://www.genki-o-chan.com

 

醜い部分を曝け出すと、私には、この子が救われるべきかどうか、答えを出すことができません。そもそも、救うとか救わないとか、おこがましいとすら思ってしまいます。私には、この子に手を差し伸べるための明確な理由がありません。3億5千万円という途方もないお金が、なぜこの子のために集められなければならないのかが分かりません。そのお金が、果たして最後には誰の喉を潤すのかも知りません。どれだけの同情を勝ち取れたか、そのためにパフォーマンスできたか、そういった密かな争いの果てに、私はこの子のことを知ったのでしょう。それはおそらく、前澤友作にしても同じことだと思います。同情を勝ち取ることで救われる、お金を集めたものが助かる。それを否定することも、ましてや馬鹿にすることなどできるはずもありませんが、どこかで違和感を覚えてしまう理由について、私はまだ答えを出せずにいます。