与謝蕪村の歌を振り返る

 

 

総評というカテゴリを一億年ぶりに使います。与謝蕪村です。嘘です。松尾芭蕉です。

毎年エイプリルフールには、なにかみんなを楽しませられないかと歴史上の偉人になったふりをしたりして遊んでいます。伊能忠敬とか。そんなわけで今年は与謝蕪村を演じてみました。

恥ずかしながら、私は今日に至るまで与謝蕪村という俳人の作品をひとつも知りませんでした。せっかくなり変わるからにはその人となり、作品に触れてみたいと思い色々と調べたのですが、与謝蕪村、すごいです。私は俳句のことはよく分かりませんが、それでもじんとくるような作品がありました。

今回はそんな与謝蕪村の作品と、なり変わった私の作品を並べて振り返っていきたいと思います。

 

春の女児 終日犯し 犯し哉

元作品:春の海終日のたりのたり哉

終日は「ひねもす」と読みます。末尾の「かな」もうまく効いていますが、やはり特筆すべきは「のたりのたり」でしょう。俳句は17文字の制限があります。この中で「のたり」という言葉を、一回でも通じるにも関わらず二回繰り返すというのはとても挑戦的なことだと思います。また、与謝蕪村は画家としても才能があり、俳句の作風も非常に写実的です。思わず、春の陽気のなか、のんびりと眺める海の情景が目に浮かぶようです。

元作品と比べて贋作を見てみると、「のたりのたり」が「犯し犯し」になっていますね。元作品では、のんびりした雰囲気の強調効果を発揮していた表現が、「犯し犯し」になった途端に何度も何度も、という意味合いを持つようになりましたね。もとが「のたりのたり」ですから、なんとなく、春の浮かれた気分の女児が、薄暗い部屋でねっとり、ねっとりと終日弄ばれる情景が浮かんできませんか。

操散非処女溜息処々

元作品:柳散清水涸石処々

思わず、おいおい漢文か?と言いたくなるような作品です。やなぎちり しみずかれいし ところどころ、と読みます。ごくごく個人的な好みですが、私は単語の羅列表現大好き人間です。この歌では、清水涸石、で単語が羅列されています。助詞も含まない単語の羅列に、無限なる想像力の海を垣間見ますね。また、柳は春の季語ですが、この歌の季語は柳散で、秋の歌となります。

贋作は、みさおちり ひしょじょためいき ところどころ、と読みます。元作品が柳という春の季語を散ると合わせることで秋の季語としているように、贋作も操散という表現で「簡単にお股は開かないぞ!」と操を立てて入学した女子大生が秋には非処女となっていく寂しさをうまく表現できたと思います。

痴女モノで 四六時シコる 親父かな

元作品:鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな

これはですね、元作品が良すぎます。めちゃくちゃかっこいい。台風(野分)の中、鳥羽離宮へ五、六の騎馬が駆けていく様子がありありと見えてきます。鳥羽殿へ、がかっこいい。ずるい。

さて、贋作ですが、、、元作品からは想像もつかないほどキモい作品になりましたね。キモさ全振り。特に言いたいことはありません。

マラテンガ 女優の膣に 似たるかな

元作品:花いばら故郷の路に似たるかな

良いですねえ。花いばら、のフレーズが良いです。母音が「ああいああ」となっていて、「花」といばらの「ばら」の語感が気持ちいいです。また、これと韻を踏む下五の「似たるかな」も気持ちよく、思わず声に出して読みたくなる作品ですね。

贋作のほうは、すみません、勢いだけなのであんまり気に入ってないです。そもそもお前はAV女優の膣のナニを知っているんだ。

クリひとつ うづみ残して まん毛かな

元作品:不二ひとつうづみ残して若葉かな

これも情景がありありと浮かんでくる、素晴らしい作品ですね。あたり一面を埋め(うづみ)尽くす新緑の若葉のなかに、ただ一つ凛と佇む白雪を被った富士山の神々しさに目頭が熱くなります。

贋作の方は、デリケートゾーンを埋め尽くすまん毛のなかに、きっと勃っているのでしょう、ピンとせり上がったクリが見えてきませんか。世の中には剛毛フェチというものがあるそうですが、私には理解できません。剃ってください。

ゴム脱ぎて 中出したりぬ 二三遍

元作品:牡丹散りて打ち重なりぬ二三片

こちらも元作品が良いですね。特に、最後の「二三片」という切り方。ここまでは切れ字の「かな」が多くありましたが、このようなぶつりと切る表現も心地よい余韻が残り、散った牡丹の大きなピンクの花弁が重なっていく様が浮かびます。

贋作にはひとつギミックがあって、元作品と合わせて読むと「中出したりぬ」の「たり」や「ぬ」を完了の助動詞として「中出しちゃった❤️」みたいなニュアンスで考えてしまいそうになりますが、「たり」「ぬ」と続けて助動詞になってしまいますのでその読み方は文法的に誤りです。ではどう読めばいいかというと、「足りぬ」と読み「ぬ」を否定の意味ととらえます。すると、「中出しちゃった❤️」どころか二、三回出しても満足しない絶倫男の歌であることが見えてきますね。

ゴム無しで 出すうれしさよ 手を繋ぎ

元作品:夏河を越すうれしさよ手に草履

これはですね、もう、元作品が本当に好き。他人の俳句をこんなに好きになったの、初めてかもしれません。夏の川をですね、渡るわけです。何が良いって、下五の「手に草履」、この言葉で「裸足で川の中を歩いていること」が分かるのです。途端にあの、暑い日差しのなか足元を流れる小川の冷たさが思い出されます。無邪気な喜びを心の底から呼び覚ますような、そんな作品だと思います。

贋作はどうかというと、時と場合によっては忌むこととされる中出しが「手を繋ぎ」という言葉により、男のわがままではなく男女の合意の上で行われていることがわかるような展開に仕上がっています。

行きずりや 重たき姫の 抱き心

元作品:ゆく春や重たき琵琶の抱き心

過ぎ去る春の寂しさを、重たき琵琶の抱心と表現する。感服ですね。なんてアダルトで、ロマンチックな表現なのでしょう。与謝蕪村、天才か。

贋作はワンナイトラヴのつもりだった行きずりの女が愛されたい系メンヘラだったという、取り返しのつかない過ちを描いています。

おわりに

いかがでしたか。クソみたいな下ネタの作品たちも、元作品と比べることで奥行きが出てくるのを感じられたでしょうか。

明日からはまた松尾芭蕉として、恥語(季語)で色欲(四季)を歌っていきます。今後とも、松尾芭蕉をどうぞよろしくお願いします。

Twitter:@matsuwobaseu

 

 

早漏を克服したいで候う

 

 

こんにちは、まつをです!久しぶりに普通のブログを書きたいと思います!近ごろは外から聞こえる猫の盛り声に合わせて自慰することで仮想(仮装)バーチャル猫娘セックスを楽しんでいます。嘘です。

今日のテーマは、、、ででん!

早漏で候う!

遅漏早漏問題は士農工商の時代から誹謗中傷を伴って人々を苦しめてきました。遅漏早漏を簡単に説明すると、男性の絶頂(ファイナルミルキービーム)が女性の絶頂(トップオブエベレスト)より早いか遅いか、と言ったものです。

お察しの良い方はもうお気づきでしょうか。そうです、遅漏早漏問題は個人間の相性にひどく依存するのです。ですから、相性の良い相手に出会えることが一番です。巷ではよく「身体の相性が大事!」とか聞きますよね。うるせえ。とはいえ、そうそう簡単に身体の相性が良い相手には出会えないので、絶頂のタイミングをコントロールする必要が出てきます。そして、その役目を担うことになるのはいつだって男性です。

なぜ男性ばかりがそんな苦役を科されなければならないのでしょう。それは実は、男女の性質によって運命づけられているのです。

ご存知のとおり、ファイナルミルキービームはファイナルというくらいですから、そうそう何度も放つことはできません。言うなればウルトラマンスペシウム光線です。放ったあと、勇ましかったはずのあれは3分後にはまるでウルトラマンが宇宙へ帰っていくときのようにシュワっと小さく萎んでいきます。

それに比べて、トップオブエベレストはまず見極め自体が非常に困難です。まるでヒマラヤ山脈をイくかのように、おお、ここが頂きか!と思ったらナンガ・パルバットだったり、ついに!と思ったらカンチェンジュンガだったりします。

もう少しわかりやすく言うと、男性の絶頂への道のりは直線的な単調増加であるのに対し、女性の絶頂への道のりは波状なのです。こちらの本が詳しいので気になる方は読んでみてください。

女医が教える 本当に気持ちのいいセックス

女医が教える 本当に気持ちのいいセックス

  • 作者:宋 美玄
  • 発売日: 2010/05/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

今回は、早漏の方に向けた記事となります。なぜなら、私自身が早漏だからです。

「相手もいないのに早漏で悩むことなんてある?」

と思ったあなた。甘い。甘すぎる。経験則からして、アダルトヴィディオの1プレイはだいたい30分〜1時間くらいあります。男なら早送りなんてしません。それこそ心の早漏です。ですが、そんな気概も虚しく涙そうそう早漏はつぼみさんのトップオブエベレストにたどり着くことなく、それどころか、登頂準備(前戯)中にスペシウム光線を放ったりします。

一緒に「イぎたいっ!!!!」とニコ・ロビン並みの思いを抱えるあなたに、早漏克服のためのいくつかの方法をお伝えします!

触覚を邪魔する

ファイナルミルキービームは快楽によって放たれます。快楽とはなんでしょう。言い換えると気持ち良さです。

そうです。快楽なんてものは気の持ちようです。そして気の持ちようを変える最も簡単な手段。それは五感を邪魔することです。五感を邪魔して股間をまさぐるのです。

アダルトヴィディオを楽しみたい者としては、聴覚と視覚とちん覚だけは邪魔できません。となるとまず思い浮かぶのは触覚です。

快楽を抑える触覚への刺激…そう、痛みです。試してみてください。右手の動きに合わせて左手で太ももの肉をつねるのです。

 

あっ!痛っ、あっ、い、あぁ、痛ぁ、ぁあ、あ、あっ!あっ!!つっ、あ!ああ!!

 

10回ほど繰り返すうちに、太ももをつねるだけでファイナルミルキービームを放てるようになります。

嗅覚を邪魔する

触覚はだめでした。パブロフの犬のようにあっという間にSMの犬になって痛みに快楽を感じるようになってしまいます。ええい、次にイきます。

簡単に気を紛らわせられるもの、そう、嗅覚です。とはいえあまり嫌な匂いでは興が削がれそうですから、不快すぎないものを探してみましょう。例えば…

コーヒー。コーヒーを挿れましょう。試してみてください。右手の動きに合わせて左手で手動コーヒーミルを挽くのです。

 

あっ!「ガリガリ」あっ、ん、「ガリガ」あぁ、「ガガ」ぁ、ぁあ、「ガリ」あ、あっ!あっ!!「ガリガリ」くんっ、あ!ああ!!

 

10回ほど繰り返すうちに、朝の一杯のコーヒーがカフェ・オ・レになります。

味覚を邪魔する

嗅覚もだめでした。そもそもコーヒーには脳を活発にさせる効果があるとも言われています。ええい、さらに次にイきます。

ここまできたら後には引けません。今度は味覚です。試してください。右手の動きに合わせて舌でキャンディを転がしながらああああああ"あ"あ"あ"!!!

 

キャンディといえばロリポップですね。つぼみさんこそ、ロリの王道をいく、キングオブロリポップだと私は思います。

シコうを邪魔する

視覚も聴覚も強すぎます。この二つだけで私はつぼみさんでいっぱいになり、ちん覚が飛車角落ちです。私はもう、つぼみさんと同じタイミングではFMBできないのでしょうか。つぼみさんのToEにたどり着くことはないのでしょうか。

あれやこれやシコシコ思考し試行錯誤した私がついにたどり着いた早漏の克服法はこれです。

違うことを考える

え、そんなこと?と思われるかもしれません、が、これにより私は少しずつFMBコントロールを体得しつつあります。

では何を考えるのか。手っ取り早く試せるのは「お母さん」です。しかしながらこれまでの流れのとおり、あまり「お母さん」を多用すると地獄を見ることは火を見るより明確です。

次に中学校の頃の担任、三井住友銀行のミドすけ、ハローキティムシキング、実家の土手にいたカエル…そうしてついに出会った最強のFMBコントロールパートナー。それは…

 

 

 

シン・ゴジラ(第二形態)です。

 

私は、つぼみさんを見ながら、右手でちん覚寺の鐘を揺らし、左手でコーヒーを挽き、舌でキャンディを転がし、頭にシン・ゴジラを浮かべるようになりました。そして、ついに、私は、

 

 

 

 

早漏を克服することはなく、自慰に嫌悪感を抱くようになったのでした。

 

 

【小説版】性交の架橋

    「あーあ」

思わず深く溜め息をついた。冬の雨が灰色の街の輪郭をぼやけさせて、まるで生気を吸い取られたみたいな景色。

雨は苦手だ。じめりとした空気。身体に触れる水の粒の不快感。寒い時期の雨は少し痛いくらいに冷たい。朝の予報は見事にあたったが、僕は傘を持っていない。傘を持つのも嫌いだ。荷物が増えるから。救いようがない。

下駄箱で靴に履き替えて、ぼんやりと雨を眺めていた。そのうち止むだろうか。思いきって今出ていくのが正解か。そんなことを考えていると、突然うしろから声をかけられた。

「一緒に帰ろ」

その声に胸の中が跳ね上がるのを感じる。振り返ると赤いマフラーで口元を隠す彼女がいた。高校の入学式で初めて見たときからずっと。一目惚れだった。二年生になって同じクラスになったけれど、たまに授業で会話するくらいで距離を縮められている実感はない。

そんな彼女から声をかけられただけでも思いがけないことで、だから、彼女が何を言っているのかしばらく理解できなかった。傘、忘れたんでしょ、と彼女が微笑む。耳がじんわりと赤くなっていくのを感じた。

・・・・・・・・・・・・・・・

見慣れすぎて、いつもなら意識することもない街を眺める。灰色だった景色が嘘のように色とりどりだ。傘の上に、ぽつりぽつりと水玉が落ちる音がする。不快なはずのそれが心地良く聞こえる。ちゃちなビニール傘の下、肩を寄せて歩く彼女がいるから。

5分ほど歩いただろうか。緊張してあまり話せない自分に嫌気が差す。せっかくのチャンスなのに。彼女が一緒にいて楽しいと思えるような、なにか、なにか、

「わっ」

突然、強い風が吹いた。傘を持っていかれそうになって、慌てて両手で持ち直す。にわかに雨が激しくなり、再び強い風が吹く。ぱきぱき、と安い音を立てて骨が折れたかと思うと、あっという間にビニールがひっくり返り剥がれかけた。どこかに入ろう。そう声をかけて、彼女の手を握った。彼女は驚いた顔をして、だけど、振り払うことはなかった。視界もままならない土砂降りの雨の中を無我夢中で走った。

慌てて駆け込んだ建物の中で、彼女と目を合わせた。びしょびしょになった肩。髪先から落ちるしずく。壊れた傘。妖しく光るタッチパネル。妙によそよそしいBGM。

 

 

「ラブホテル…?」

・・・・・・・・・・・・・・・

とにかく身体を温めないと風邪をひく、と言い一番安い部屋を指定して彼女を連れ込んだ。十八歳未満はダメって書いてあるよ、と不安そうに言う彼女に、シャワー借りるだけなら大丈夫だよ、なんて。なにも知らないくせに。

初めてのその空間に緊張していたけれど、意外と綺麗な部屋に思わずわくわくしてしまった。動かないスロットマシーンを彼女はかちゃかちゃと動かして、壊れているのかなあと呟いた。先にシャワー浴びていいよと声をかけると、うん、と返して彼女はシャワールームへ向かった。彼女がシャワーを浴びている間、どうにも落ち着かず、部屋中をくまなく調べた。デリバリーヘルスの広告や、ベッド脇に添えられたコンドーム、ビニールを被せられた電気マッサージ機。目に映った「そういうもの」を片っ端から隠した。なんとなく、そうしないといけない気がした。

上がった彼女はバスローブを着ていたようだったが、あまり見てしまわないようにすぐにシャワールームへ向かった。服を脱いで、扉を開ける。ふわりと、シャンプーかリンスか、甘い香りが鼻腔を通る。長い髪が鏡のふちに張り付いている。いましがた、ここで彼女もシャワーを浴びていたという事実が、何か、心の中の得体の知れない感情を刺激した。

・・・・・・・・・・・・・・・

シャワーを済ませてバスタオルで身体を拭い、そのまま腰に巻いて部屋に出た。そして初めて、風呂上がりの彼女を、見た。

バスローブと溶け合うような純白の肌。半分しか隠れていない太もも、すらりと伸びる足、小さな爪。ドライヤーになびく、まだ少し濡れた妖艶に光る黒い髪。頬からうなじにかけての暗影。柔らかそうな衣服にまとわれた控えめな胸の辺りの丘陵。何かが、ふつりと切れてしまった。彼女は気がつくとドライヤーを切って振り返った。目が合うよりも早く、バスタオルが落ちた。大きな傘が、少し濡れた傘が姿を現して。ふぁさり。ぼろん。

「一緒になろう」

考えるより先に出た言葉。彼女は驚いて横に目を逸らした。何かを言おうとして口を開け、閉じ、ぷっくりと赤い頰を膨らませる。そして、泣き出した。声を出すでもなく、綺麗な瞳から、涙をこぼした。まるで潮が引くように傘は萎んだ。冷静になって、冷や汗が溢れ出る。慌ててバスタオルを巻き直していると、震えた声で、彼女がぽつり、ぽつりと、降りはじめの雨のようにつぶやいた。

 

 

「君のこと、ずっと、好きだったのにな」

・・・・・・・・・・・・・・・

隣を歩く彼女は、割り勘でいい、と部屋を出るときに1,000円を渡してくれたのを最後に、ずっと俯いてスマホを見ている。かける言葉もなく同じようにスマホを見ながら無言で歩いた。有名芸能人が未成年に淫交した話題がSNSを騒がせていた。なんだか嫌な気持ちになって閉じ、ふと、空を見上げた。

雨は、いつの間にか止んでいた。そんなことも忘れていた。呆れるくらいの綺麗な虹が、空に大きな左曲がりの弧を描いていた。

「あーあ」

思わず深く溜め息をついた。ワンコのように無邪気に振った棒で、二年間の恋を、両想いだったそれを、棒に振ってしまったのだ。

あんな風に綺麗な虹色だったなら。君も喜んでくれただろうか。そんな馬鹿なことを考えながら、苦笑いした。俯いて歩く彼女には、虹のことは話さなかった。

 

もう、迷わずに進めばいい。性交の架橋は見えている。

 

 

 

 

僕はポケットに突っ込んだデリバリーヘルスの広告を強く、強く握りしめた。

 

 

 

性交の架橋 / くゆ太子 - ニコニコ動画

はじめてひとりで飛行機のった

 

 

がごごごご、と乱暴な音を立てて車輪が地面に当たる。ぼくは、まるでジェットコースターに乗っているときみたいに強く足に力を込めていた。着陸したとのアナウンスが機内に流れる。

…………………………

ぼくは、東京の下町の、至って普通な家族のもとに次男として生まれた。両親と、6つ歳の離れた兄と、黒のラブラドールレトリバーが家族だった。

幼少の頃から怖がりで、暗いところに行くと父親にだっこをねだり、ガメラのおもちゃが音を立てて動き出すと泣き喚いた。そのくせ、人一倍、一生懸命、大人ぶった。兄が6つ離れていたこともあり、自分だけがガキんちょなのが悔しくて、自分だけが夜の10時に寝ないといけないことに納得がいかなかった。布団の中にぼんやりと聞こえて来る居間の話し声は、ぼくだけを除け者にした密談みたいだった。

年をとるほどに、ぼくは精一杯背伸びをするようになった。4月生まれで周りより少し身体が大きかったことや、兄の友人に混ざって遊ぶ中で、なんとなく、自分は同年代よりもずっと大人なのだと思っていた。兄の進研ゼミの付録を勝手に借りて先の勉強をしたりして、自分だけがみんなより先に行っていることに優越感を覚えた。

より悪いことに、ぼくはだんだんと人より遅れることに恥ずかしさを覚えるようになってしまった。ぼくはみんなより大人で、たくさんのことを知っていて、みんなが知っていることを知らないはずがない。そんな虚栄心ばかりが大きくなってしまった。

だからぼくは、知らないことを誤魔化すようになった。うまく誤魔化せるくらいには、ぼくは狡猾だった。知らないことを知らないと言うのが恥ずかしくて、新しいことに挑戦する勇気がなくて、ぼくはどんどん世間知らずになった。なんでもわかってるみたいに余裕のあるフリをして、その実なんにもわかってなかった。

SUBWAYの注文の仕方。 タクシーの乗り方。 映画のチケットの取り方。 病院のお見舞いの仕方。 新幹線の乗り方。 宿の取り方。 洗濯機の回し方。 料理の仕方。

わかったフリして友人や家族に任せて。何にも分からないまま身体だけ大人になってしまった。大見栄切って一人暮らしを始めたあとの生活はひどいものだった。粉末洗剤も水に混ぜれば液体洗剤になると思って試し、固まって洗剤を入れる穴が塞がった。もやしが安いからと買い、火を通さず食べて吐くほどまずかった。初めてのデートで映画のチケット発券機の前でオロオロして幻滅された。きっとみんなからしたら馬鹿みたいな失敗を何度もしてしまった。

大学生になって、社会人になって、少しずつ、いろんなことに挑戦している。みんなが当たり前にできることを、遅れながら、あの頃避けてしまった恥ずかしい思いをしながら、少しずつ覚えている。ひとりで新幹線に乗るのも、宿に泊まるのも、胃が痛くなるくらい緊張しながら。

…………………………

今日は、はじめてひとりで飛行機に乗った。相変わらず大人ぶって、空港のラウンジでコーヒーを飲んだ。店員さんが「ラウンジでは〜〜」と話すのをうまく聞き取れなかったけど、わかったフリしてうなずいた。ラウンジでは搭乗案内が流されないということを、あとになって飛行機に乗り遅れそうになってはじめて知った。飛行機に乗ったあとの腹痛はひどいものだった。出発から到着まで緊張しっぱなしで、少し具合が悪くなった。なんとかたどり着いて、宿泊先の近くのイタリアンで大人ぶってワインを飲み、何かもわからないままアヒージョを頼んだ。何かスープみたいなものがぐつぐつ沸騰していて驚いた。よく分からないまま全部飲み干して、店員さんに怪訝な顔をされた。スープみたいなぐつぐつは、普通飲み干さないみたいだ。

相変わらず見栄っ張りで世間知らずで怖がりな自分と、ぼくはなんとか付き合っていかないといけない。いつの日か、ちゃんと、あの頃憧れていた大人になれるように。

ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿、という話

 

 

おーれーはヴィ〜ガ〜ン!!!!(ジャイアンのノリで)

こんにちは、まつをです。打ち明けるのにはとても勇気がいるのですが、私はヴィーガンです。嘘です。

今日はヴィーガンの話をします。

ヴィーガンとは?

今日日、ずいぶんヴィーガンも市民権を得ておりご存知の方も多いかと思いますので、簡単にヴィーガンとは何かを紹介したいと思います。

ヴィーガンとは、人が生きる上で動物を苦しめてはいけないという考えで生きる人々を指し、その考えはヴィーガニズムという主義主張に則っています。ベジタリアンと同じように肉、魚を食さないのに加え、卵製品や乳製品も避けますし、より敬虔な場合には虫を食べることも避け、革製品を避け、動物実験を利用した製品を避け…といった具合に、とにかく「人間は生き物を搾取するな」といった思想を実践します。

ヴィーガニズムは、いくつかの種類に分けることができます。

  • 宗教ヴィーガニズム:道徳のため動物を苦しめることを忌避し、あらゆる目的で動物を人間のために利用することを否定します。
  • 健康ヴィーガニズム:健康のため肉、魚、卵製品や乳食品を避けます。
  • 環境ヴィーガニズム:環境のため大量の温室効果ガスを発生させている畜産業を否定します。

共通していることは、肉、魚、卵製品、乳食品を摂らないことで、異なることはそれがどのような考えから実践されているか、またその考えにより動物利用制限を食事以外にも波及させているかどうか、となります。当然、ヴィーガンがみな明確にこの3つに分類できるわけではなく、道徳的にも健康的にも良くないよね、といった方などもいますし、実践具合も考え方も人により千差万別です。

話題が発散しないよう、今回は宗教ヴィーガニズムに焦点を当てて話を進めていきます。

ヴィーガンを馬鹿にする奴は馬鹿

私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、自身がヴィーガニズムを実践するとともに、今そこでファミチキを食べているあなたにもヴィーガニズムを実践して欲しいと思っています。

このようなことを言うと、必ず非ヴィーガンの方は「他人が食うものに口出しするな」とか「肉や卵が食べられないなんてかわいそう」とか「野菜しか食べないなんて馬鹿だ」と声高に返します。ですが、私たちヴィーガンは(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、「動物を苦しめてはいけない」という主義主張、ほとんど信仰に近いものを抱えていますから、動物を苦しめた上で成り立っているあなたの食事を快く思うわけにはいかないのです。たとえ他人であっても。

そして、深く考えもせずにヴィーガンの食事を馬鹿にしてしまうあなたは、残念ながら馬鹿という他ありません。

極端な話をしましょう。犬を食べますか。食べないならなぜですか。食べてみたら豚より牛より馬よりずっとあなたの好みの味かもしれませんよ。大久保に行けば今でも食べることができますよ。

もしその理由が、なんとなく気持ち悪いから、かわいそうだから、そういう文化で生活していないから、というものであれば、それはほとんどヴィーガンの主張と変わりないものです。

「いやいや、俺は他人が犬食っててもどうとも思わないし(笑)」と考えているあなた。もっと極端な話をしましょう。

他人が人間を食べていたらどう思いますか。もちろん、今は世界的に人間を食べることは御法度です。しかし、私たちが「何を食べたって自由」なのであれば人間だって食べていいはずです。そんなおかしな法律やルールはなくしてしまえばいいではないですか。種の存続という観点から人間が人間を食べるのはよくないというのであれば、養殖すれば問題ないですね。牛や豚みたいに家畜として人間を育てて焼くなり煮るなりして食いましょう。きっととても美味しいですよ。人肉は健康に悪いと言った記事も見かけますが、現代の科学や技術で衛生的にしっかり管理された人肉であっても同様なのか、疑問が残ります。

きっと今あなたは「それは倫理的によくない」とか「道徳に反する」と考えていることでしょう。それは、ヴィーガンの考えを支えるものと、何かちがいますか。

(ここで「いや、誰が人間を食べていても気にしない」などと考えているようなら、こんな記事を読んでいないでまず病院に行ってください)

ヴィーガンの否定は簡単じゃない

「私が何を食べるか」は、「私が何者であるか」という問いに直結するように思います。私たちヴィーガンが(私がヴィーガンであるというのは嘘ですが)、動物を苦しめてはいけないという信念のもとに生きているのと同じように、非ヴィーガンの方々も犬を食べるのはおかしいとか、人間を食べてはいけないとか、そういう信念を(たとえ無意識であったとしても)少なからず抱えて生きているのです。

日本人の多くは自身が無宗教で無信仰であることを自慢げに語りますが、無自覚なだけで、ほとんど宗教や信仰に近いものを持っています。人間誰しも、社会性を保つために共通の思想や文化を持つ必要があるのです。それがなければ、社会は破綻してしまいます。

ヴィーガンの方々がヴィーガンを深く考えずに否定してしまうのは、ヴィーガンの考えがあなたのもつ思想や文化に反し、あなたの属する社会を壊しかねないからです。非ヴィーガンの多くはこれからも「否定」という結論ありきで健康だのなんだの、その材料かき集めてはヴィーガンを迫害することでしょう。

ヴィーガンの方は、今のところこの世界のマジョリティに属しています。だから、まるでそれが全人類にとって正しいことかのように、疑いもせずにヴィーガンを否定するでしょう。しかしそれは、人類が繰り返してきた宗教的迫害、対立、戦争の歴史と似ていませんか。その否定の先にあるのは、人類が本当に目指すべき未来でしょうか。

ヴィーガンの問題が宗教的なものであるとわかると、そうそう簡単に解決できるものではないことが見えてくると思います。宗教的対立の問題を、人類は未だ克服できていません。

これは、ヴィーガンが正しいとか、非ヴィーガンが正しいとか、そういった問題ではありません。並行して存在してしまう異なる信仰を、文化を、道徳を、いかに共存させていくのか。人間は、そういった問いと真摯に向き合っていく必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

それにしてもファミチキうめぇ。

 

 

 

夢精の話〜ぼくが夢精を乗り越えるまで〜

 

みなさんは何か人に話せないようなコンプレックスを抱えているだろうか。誰しもひとつやふたつは、打ち明けられず心のうちに隠しているものがあるだろう。あるいは、コンプレックスがないこと自体がコンプレックスになってしまった人もいるかもしれない。

かく言うぼくもドロドロのロリータコンプレックスだ。というのは冗談で口に出せる程度のもので、実のところ大っぴらにはなかなかできないコンプレックスがぼくにもある。

 

 

ぼくは、青年期のほとんどを、夢精に怯えながら生きてきた。

 

 

夢精に苦しむひとたちにとって、ほんの少しでも支えになることを願ってこの記事を書いている。

夢精とは?

端的にいうと、夢精とは睡眠中の射精だ。えっちな夢を見た場合に起こると言われることが多い。しかし、必ずしもそうでない場合もある。体内に過剰量の精液が溜まり、分解吸収できなかったものが夢精を通して排出されるケースもある。

夢精って気持ちいいんでしょ?と男性の中には夢精に幻想を抱いている者もいるが、この際はっきり言っておかなければならない。

夢精は最悪だ。

そもそも、えっちな夢を見て夢精することは少ない。いや、実際にはそのような夢を見ているのかもしれないが、みなさんもご存知のとおり夢というのは大抵起きたとたんに霧散してしまうものだ。どんな夢だったのかは起きたときには頭からすっかり抜け落ちている。加えて、より悪いことに夢精というのはほとんどの場合、射精する瞬間には目が覚めている。

深夜、射精に伴い目を覚まし、下着の汚れを確認する。ひどい場合にはパジャマも汚れている。洋服を着たまま射精してしまう不快感。家族が起きていないことを確認して洗面台に向かう。汚れを洗い落とす。本当なら洗濯機にでも突っ込みたいところだが、2枚も下着が洗濯に出ていたらおかしいのでそれもできない。やむなく、家族の起床に怯えながらドライヤーで簡単に乾かしたのち、生乾きの下着を再び着る。

お分かり頂けるだろうか。気持ちよさよりも、夢精の不快感は100億倍くらい大きいものなのである。

夢精の苦しみ

ぼくが初めて夢精したのはたぶん、小学5年生のときだった。そのころぼくは、高学年にもなっておねしょをした。おねしょのわりには量が少なく、寝具は汚れず、下着も少し湿っぽいだけだった。誰にも言わなかった。

当時のぼくは、キスしたら子どもが生まれると考えているくらいには性的知識が乏しかった。だから気付くことができなかったけれど、あれは夢精だったのだと思う。ぼくの精通は、無意識のうちに夢の中で済まされたのである。

ぼくが夢精を意識することができたのは、中学生になってからだ。定期的に発生するそれが「おねしょ」ではないことを理解し、そして苦しむことになる。

まず、誰にも相談できなかった。夢精が生理現象のひとつであるとしても、まさか家族に相談できるわけがなかった。家族に性的な悩みを相談するなんて、思春期の子どもにとってはハードルが高すぎる。友人にも相談できない。からかわれるに決まっているし、場合によっては気持ち悪がられ、最悪の場合いじめに発展するだろう。思い出してみてほしい。あのころの子どもは残酷で、学校のトイレでうんちしただけでも馬鹿にされ、すぐに話が広がってしまう。夢精のことなんて話せるはずがない。

また、夢精によってぼくは寝不足にも襲われた。疲れてどっぷり眠りたい夜。翌朝早く起きなければならない夜。そういうときでもお構いなく夢精は起きた。その度、ぼくは眠い目を擦ってもう擦っても勃たない不甲斐ないそれをぼんやり眺めた。

恐ろしいことに、夢精は時と場所を選ばない。家にいるときなら、まだいい。家族の目さえ盗めれば、あとは決まりきった手順で夢精の処理ができる。しかし夢精は、例えば祖父母の家に泊まったとき、友人宅に泊まったとき、部活の合宿、修学旅行、いつでも発生した。その度ぼくは不快感に襲われ、誰かにバレることに怯え、しまいには宿泊イベント自体が嫌になった。

エロいことばっかり考えているから夢精するんだ、と思われてしまうのも怖かった。ぼくは少し下ネタが好きで、赤いランドセルを見ると勃起してしまうだけの、いたって普通な思春期の男の子だった。だから、人から「実はそういうことばかり考えている」と思われるのはぼくの尊厳に関わる問題だった。

そう。自身の尊厳を守るためにぼくは、夢精を人から隠し通さなければならなかったのだ。

夢精の終わり

思春期の間だけの問題だと思っていた夢精は、それからずっとぼくにのしかかり続けた。中学生、高校生。そして大学生になってもそれは続いた。打ち明けるのには本当に勇気がいるのだが、実のところサークルの合宿や、宅飲みした夜にも夢精した。汚らしいと罵られても構わない。それ以上にひどい言葉で、ぼくはぼくを侮辱し続けてきた。

そして、夢精の終わりは突然に訪れた。気がついたら、ここ4、5年は夢精をしていない。理由は分からない。分からないが、今でもぼくは、明日は夢精してしまうのではないかと怯えながら日々を過ごしている。

夢精の予防法

プラセボかもしれないが、ぼくがどうしても夢精したくないときにやっていた予防法を紹介しよう。

  • 定期的に自慰を行う

射精は生理現象のひとつなので、好奇心旺盛で精液の分解吸収能力がまだ低い思春期には、必要以上に精液を溜めないことが大事だ。抜いたその日でさえその晩に夢精することもあるので、抜いたからといって確実に夢精を避けられるわけではないが、リスクを低減させる堅実な方法と言えるだろう。

  • 就寝前のエロを避ける

眠る前にえっちな絵を見たり、話を読んだり、AVを観るなんてことはもってのほかだ。夢というのは自身の頭の中に潜む様々が織りなす物語なので、眠る前に頭の中にエロを敷き詰めることは夢精のリスクを格段に上げてしまう。寝る前にはなるべく親鸞の教えに触れることをお勧めしたい。

はじめての親鸞 (新潮新書)

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  • おしっこをしておく

これは、なぜか分からないがよく効いた。尿を溜めないことで、下腹部まわりに向かう不要な意識みたいなのを避けられているのではないかと考えたが、原理は不明だ。逆に、眠る前にトイレに行き忘れた晩にはよく夢精し、おねしょしたかと焦ったものである。

  • うつ伏せで寝ない

睡眠中は、小さな刺激が夢に反映されてしまったりする。だから、なるべく息子への刺激は排除しなければならない。うつ伏せで眠るとどうしても身体と布団の間で息子が圧迫され、それは、つまり、その…

 

 

 

 

 

床オナだ。

 

 

最後に

このコンプレックスは、ずっと、なかなか人に打ち明けられなかった。夢精をしなくなった今だからこそこうして記事にして振り返ることができるが、内心では他人に軽蔑されるのではないかとビクビクしている。

でも、もしもあなたも夢精に苦しんでいるのなら、どうか自分自身を否定しないで欲しい。夢精は生理現象のひとつで、それこそ生理と同じ不可抗力で止められるものではない。

そして、もしもあなたが誰かの夢精を思いがけず知ってしまったら、どうかそっとしておいてあげて欲しい。夜中に友人が1人洗面台に向かって何かを洗っているとき。洗濯物になぜか2枚の下着が出ているとき。何も気づかないフリをしてあげて欲しい。それを隠し通すことは、きっと彼にとって尊厳に関わる問題だから。

もしもその誰かが夢精について打ち明けたとき、どうか囃し立てないであげて欲しい。彼らはただ、自身が夢精しているということだけでこれ以上なく苦しんでいるのだから。夢精は誰にでも起こることではないから分かりづらいかもしれないけれど、生理現象のひとつで、どんなにしたくないと願っていても起きてしまうのだから。

ムセイオン - Wikipedia

 

電車会社にお願いしたい3つのこと

お久しぶりです、まつをです。ここ最近はTwitterでナンパ師が投稿している女の子の写真やハメ撮り動画を見ては、私が大切に想う女の子たちがどうかこんなことをしていませんようにと祈りシコる日々です。

さて、今回のテーマは電車会社にお願いしたいことです。毎日利用する駅や電車。「もっとこうなったらいいのに!」と思うことが度々あります。アイデアは浮かぶのですが、電車会社に勤めているわけでもない私にそれを実現することはできません。

この記事では、中でも強く望んでいる3つのことを紹介します。電車会社の関係者がこの記事を読んで、感化され、私のアイデアを実現してくださることを切に期待しています。アイデア料は5億円くらいでお願いします。

防音室

先日私がTwitter(くゆ太子 (@studio_mol) on Twitter)で生まれたての赤ん坊のようにぎゃあぎゃあ騒いでいたので見た方もいるかもしれませんが、改めて書きたいと思います。

駅の構内に、証明写真機のように、防音室が欲しい!

添付のイメージの防音室のように、人ひとり分くらいのサイズの組み立て式防音室があります。楽器の練習などに利用される想定のようですね。

学校の行き帰り、仕事の行き帰り。どうしようもなく叫び出したくなることはありませんか。あります。みんな叫びたいはずです。死ね!クソ!普段は口にすることも咎められるような言葉を。あああああ"あ"あ"あ"!言葉にもならない声を吐き出す鳴咽を。

大声を出したいならカラオケに行けばいい、と思われるかもしれません。たしかにカラオケはこの願望を叶えることができる場所ですが、もっと簡易に、叫ぶことを実現できる場所があるべきです。下手な例えですが、写真撮影スタジオがあるのだから、証明写真機は不要だと言っているようなものです。サービスの目指すところが違うのです。

これを「駅ナカ防音室」とでも名付けてみましょう。駅ナカ防音室の機能としては、以下のようなものがいいのではないかと思います。

  • 利用者がいないときは扉が開いた状態
  • 中に入って課金(10分100円くらいが妥当か)
  • 課金に応じて扉が自動で閉まる(外からは開けられなくなる)
  • 100円で10分単位の延長が可能
  • 満足したら終了のボタンを押すことで、扉が開く(10分以上の残り時間があれば残り時間10分ごとに100円返金)
  • 犯罪に利用されるのを防止するため足元をすりガラスにするなどの対策をとる(これで馬鹿なカップルがえっちなことに利用することも避けられそうですね)

雑な試算で、駅ナカ防音室が利益を出せるのか考えてみました。

  • 導入コスト:200万円 ※防音室が100万円くらいで買えそうなので、適当に2倍にしてみた
  • ランニングコスト:2,500円/月×2年間=6万円 ※証明写真機を導入した際の電気代が、2,500円らしい。実際は他にも保守コストがかかりそう

証明写真Ki-Re-i サイドビジネスのご案内|株式会社DNPフォトイメージングジャパン

1日あたり平均5時間程度この防音室が利用されれば、100円/10分×5時間×2年間=219万円で、コストの206万円を超えますね。初期費用を超えたらあとはぼろ儲けです。

雑な試算なので現実にはもっと考えないといけないことが多いかと思いますが、ヤマハは以下のようなサービスを提供しています。

https://rental.jp.yamaha.com/shop/r/r1020/

エアコン付き防音室が13,300円/月でレンタルできるんですね。これにシステム周りを乗せて、仮に30,000円/月で提供できるとしたら、毎日2時間利用されるだけでも100円/10分×2時間×30日=36,000円で利益を出せます。どうでしょうか。十分に現実的に利益が出せそうではないでしょうか。ヤマハさん、やりませんか。

大声を出せる場所というのは、案外に少ないものです。個人的に防音設備を持っている人などほとんどおらず、公共の場では他人を、家では隣人に気を遣って生活しています。福祉の設備として税金を投入して導入したとしても、この駅ナカ防音室には十分価値があるものと確信しています。

重量課金制

「防音室」がメインだったので残り二つはおまけです。

通話料金なんかに適用される従量課金制。誤字ではなく、電車の運賃には重量課金制を適用してはいかがでしょうか。体積の大きな人や荷物の多い人に押しつぶされそうなとき。明らかに人ひとり分のスペースを確保できず座席を隣の人に侵略されているとき。「この人は自分と同じ運賃しか払わずこれだけのスペースを取っているのだ」と怒りがこみ上げてきます。ほんとうんちです。逆に、自身が大きな荷物を抱えているとき、電車が混んでいると周りの人に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

これが、その人の占有しているスペースに応じて運賃が変わったらどうでしょう。スペースを多く取っている人を見ても、まあ、この人はそれに応じた料金を支払っているのだ、と納得することができそうです。逆に、自身が荷物を抱えているときも、それ相応の料金を支払っているのだから、と堂々電車に乗ることができそうです。こども料金と大人料金を考慮する必要も無くなりそうですね。

とはいえ、センサー等を利用して瞬時に体積を計測し電車賃を変更するのは技術的に難しそうです。できるのかな。できるかも。できたらこれがベストです。しかし、重量なら簡単そうです。交通ICカードをピッとしている間にピッと重量の測定を行い、ピッと料金を割り出すわけです。重量と体積には必ずしも綺麗な相関があるわけではありませんが、まあまあ納得感はある気がします。

郵便物は重さや大きさで料金が変わります。それは、重さや大きさで運搬コストが変わるからだと思います。人間だって重さや大きさで運搬コストが変わるでしょう。100kgの人を1000人乗せたら100tになります。これが50kgであれば50tになります。100tと50tでは動かすのに必要なエネルギーが異なり、したがって電気代が異なり、運搬コストが変わるはずです。(まあ微々たるものなのかもしれませんが)

重量をごまかす不正対策や、妊婦の優遇措置など考えないといけないことは多そうですが、電車会社さん。デブからもっとお金を取りませんか。

臭害者利用制限

電車の中の香ばしい方。

「これはですね、えー、まさに、以前にも申し上げましたとおり、つまりは、えー、社会的損失、あるいはですね、えー、まさに、えー、喫緊の課題として憂慮すべき、対策を講じなければならない問題と考えているわけであります。」

仮想安倍首相が話すとおり、電車の中の香ばしい方は明らかな社会的損失です。その方が電車を利用できることより、その他大勢の方が気持ちよく電車を利用できる方がよっぽど良いように思われます。まじめに語ると功利主義の話とか始めないといけないのですが、哲学的な問題は置いておいて、とにかく香ばしい方がイヤ。イヤだ。

とはいえ、排除するのは過激派集団の考え方なので、もう少し穏便な手段を考えてみましょう。

てれれれってれ〜

カオリセンサー!

嫌なニオイを100段階で測定しスマホで可視化、生活習慣臭啓発プロジェクト始動 - Engadget 日本版

空港の保安検査場みたいな装置で、香りを測定しましょう。引っかかったら利用禁止にします。とはいえ、それでは困る方もいると思うので、リセッシュ等を用意します。しかし、根本的に衣服や身体にイヤな香りが付着している方はそれでも引っかかるので、利用をお断りします。(ここまでするなら、シャワー室とかも有料で用意してあげるといいかも)

反発もあるかもしれませんが、そもそも公共の害となる状態の人間が公共交通機関を利用するのが間違っています。タクシーでも使ってください。

重量課金制で挙げた問題と同様ですが、この対応をとれば「自分自身も香ばしいのではないか」との不安を払拭することができますね。また、引っかからないよう人々が努力し、公共の場の美しい空気が保たれることが期待されます。

おわりに

いかがでしたでしょうか。後半二つは実現がいろんな意味で難しそうなので諦めるとして、駅ナカ防音室。これは、これだけはなんとしてでもこの世の中に実現したいです。クラウドファンディングでも公的機関の施策でも金持ちのお遊びでもなんでもいいです。叫ぶ場所を、世の人々に用意してあげてください。お願いします。