ラッパのこと

ラッパを吹かなくなって、かれこれ二年間が経つ。先日見たとき、ケースは埃を被るどころかカビていて開けようとも思えなかった。

ラッパとは言わずもがな、トランペットのことだ。そしてそれは、僕にとって今やほとんどトラウマそのものだったりする。

中学生になる頃、僕の中では空前のギターブームが来ていた。絶対に軽音楽部に入ろうと思っていて、学校を選ぶ時も軽音楽部があることを決め手にしていたくらいだった。通っていた中高一貫校には中庭のようなものがあって、入学して間もない頃にそこで軽音楽部(正しくは軽音楽研究会だった)の新歓ライブが催されたのだが、あの時の衝撃は今でも忘れられない。僕の知っている軽音楽とは多くてもせいぜい5, 6人体制だったのだけれど、なんと十数名がぞろぞろと出てくるのである。あろうことか、そのうちの半数以上が管楽器を持っている。なんだこれは、と思ったのもつかの間、演奏される曲にあっという間に魅了されてしまった。聴いたことも無いような曲なのに、心が踊った。

あとから、それがビッグバンドジャズと呼ばれるものだと知った。

ライブ後、この学校の軽音が僕の知っている軽音ではないことを理解したにも関わらず、僕は軽音に入ることをより固く決心した。もちろんギター志望で行ったのだが、人員の関係などなどからラッパを吹くことになった。そのこと自体は、自分の中で案外に容易く折り合いをつけられた。というのも、ライブでより魅了的だったのはどちらかというと管楽器隊だったからだ。

それから六年間、平日のほとんど毎日ラッパを吹いていた。訳あって最初の一年間はあまり顔を出せなかったから、低く見積もると五年間くらいになるかもしれない。それでも僕にとって軽音とは中高時代そのもの、と言っても過言ではない。つまらない言葉で表せば、楽しい思い出も嫌な思い出も、ほとんど軽音にまつわることだったりする。

そして、嫌な思い出というのは、年月が経ってもなかなか褪せてはくれない。

高学年になるにつれて、ラッパ隊の高音パート、つまりは主旋律を任されることが多くなった。ラッパを吹いたことがある人なら分かるかもしれないが、高い音を吹くというのは結構難しい。上級者であれば話は違うのだろうけれど、その日の調子、コンディションに左右されてうまく吹けなくなってしまったりする。力んでいたりすると、途端に鳴らなくなる。

僕は、演奏会に調子を合わせることがうんとダメだった。そもそもあがり症で、練習ではできることが本番ではできなくなる。緊張からくる身体の硬直で楽器が鳴らなくなってしまう。手先は冷たくなって指が回らなくなる。加えて、口唇ヘルペス持ちのため、本番近く練習が佳境に入ってくると疲れから唇に水ぶくれができる。これができるとちっとも唇が震えなくなり、高音どころかチューニングの音すら吹けなくなってしまう。

分かっている。他人から言わせればそれは、単に練習不足、体調管理不足だ。お前の自業自得なのだ。

主旋律を任されることが多くなってからも、これは治らなかった。主旋律の無い音楽は最悪だ。僕ひとりが吹けないことで、みんなが心身削って作り上げて来た演奏会を駄目にする。僕のせいで、みんなが嫌な思いをする。それは、自業自得と分かっていても、この上ない苦痛だった。

大学に入ってからビッグバンドジャズはやめて、少人数のコンボ編成のジャズを演奏するサークルに入った。ビッグバンドジャズとは異なりアドリブがメインになるコンボ編成のジャズは、自分にとって憧れだった。アドリブで頭の中に鳴っている音を自在に演奏できたら楽しいだろうなあ、と思っていた。

でも、ジャズは自分が思っていたよりずっと難しかった。ビッグバンドジャズをやっていた六年間、譜面に起こされた音符を追っていただけの僕はほとんど素人みたいなものだった。慣れないアドリブを、下手くそなラッパで吹けるはずがなかった。

少人数で演奏するジャズは、否が応でも周りのレベルが目に見えてしまう。同期にも先輩にもすごい人がたくさんいた。周りからもっと学んで、積極的に参加していれば憧れに近づけたのかもしれない。どうしてか、僕はその憧れを自身の活力に変えることができなかった。

どうして自分は頑張れないんだろう。自分はラッパもジャズも、実は好きではないんじゃないか。そんなことを考えているうちに、ラッパを吹かなくなり、ジャズも聴かなくなった。

ラッパを吹いていた。ジャズをやっていた。他人にこの話をするとき、自分を大きく見せてしまったようなバツの悪さを感じる。ラッパを吹いていた十年間は、楽しかった思い出だけがどんどん蒸発してしまって、暗い思い出だけが重みを増していく。

今朝も、ラッパを吹く夢を見た。舞台の上に立って、必死になって息を吹きこんで、それなのに音が鳴らせない夢だった。一、二ヶ月に一度こんな夢を見る。

辛くなるだけだからもうラッパのこともジャズのことも考えたくない。そう思うのに、喫茶店やレストランでふと聞きなじみのあるジャズの曲が流れたとき、楽器屋でトランペットを見たとき、とくんと胸が跳ね上がってしまって、やりようのない寂しさを感じたりするのだった。


p.s. 定期演奏会、行かなくてごめんなさい