部室で見つけた鍵の話

 

あの頃の僕は、途方もなく無邪気だった。自分のことを誰よりも特別だと思っていたし、いつの日か、歴史に名を残すような偉人になって人を救ったりするのだと、そんなことを信じていた。

 

あの日、僕たちは学校の隅に追いやられた薄暗い物置小屋のような部室の中でとんでもない物を見つけた。

 

アンプの物陰から出てきたのは、1つの鍵だった。

 

形状から、すぐにそれが「学校の」鍵であると分かった。本来ならば、学校の鍵は全て職員室で管理されていて生徒が所有することはない。持ち出すにもいちいち申請が必要で、顧問の許可なしには鍵を所持することもできなかった。

僕たちははやる気持ちを抑えて、周囲に先生や生徒の姿がないことを確認して、部室の鍵穴にそれを差した。いとも簡単に、軽い音を立てる。扉は開かない。僕たちは顔を見合わせて、確かめるように、今度はそれを反対周りに回した。カタ、と音が鳴る。扉が、開く。

部室に駆け込んで、僕たちは大声ではしゃいだ。部室の鍵を開け閉めすることができるだけのそれが、まるで自由の象徴みたいだった。なんでもできるような気がした。しかもその鍵の存在は、僕たちだけが知っている。僕たちだけが特別に、持っている。誰かが作った、秘密のスペアキー

 

ひとしきり騒いだあと、僕がその鍵の所有者に任命された。かくして僕たちは、顧問の許可なしでも部室に出入りできるようになった。もちろん、存在が明るみになることを最も恐れていたので、使うのはせいぜい忘れ物を取りに来るときくらいだった。

 

その鍵が、本当にとんでもないものだと知ったのは、それからしばらく経ってからだ。

 

当時僕は兼部していた。どちらも音楽系の部活で、だから同じように、薄暗い物置小屋みたいな部室が別にあった。急ぎの用があり部室に入ろうとしたものの施錠されており、さらに困ったことに鍵を持ち出している部員とは連絡が取れない状況だった。

どうしてその選択肢を思いついたのかは今でも分からない。僕は、あの別の部室のスペアキーを取り出し、そして差した。そして、あろうことか、鍵が、開いた。背筋に電流が走るような衝撃を覚えた。つまり。つまりこの鍵は。

 

それから僕は、秘密を共有する彼らにこのことを伝えた。皆、考えることは同じだった。

 

職員室から遠い、視聴覚室へ行った。

鍵を差す。

開く。

 

僕たちは、これで確信した。確信したけれど、信じられなかった。だから、分かっている答えを答え合わせするみたいに、手当たり次第に、鍵穴を見つけては同じことを繰り返した。

 

その鍵は、学校中の至るところを開け閉めできる、マスターキーだった。

 

どうしてそんなものがあの部室の中にあったのか。到底検討はつかなかったけれど、確かにそれは学校のマスターキーで、絶対に生徒の手の内に存在してはならないものだった。僕たちはワクワクやドキドキを通り越して、嫌な汗をかいていた。たぶんこれは、バレたら、説教とかそんなのでは済まないものだった。

散々悩んだ挙句、結局その鍵は、最初に見つけた後のように僕の手元で管理され、そして頻繁に利用されることはなかった。僕たちには「どこにでも自由に出入りすることができる」という状況だけで、十分だったのだと思う。

 

それでもときどき、僕はこの鍵を使った。

その鍵の存在を確かめるみたいに、トイレの用具入れを開けた。特に面白いものは入ってなかった。

放送委員しか出入りできない放送室を開けた。見たことも無い機械が並んでいた。

夕暮れ時に音楽室を開けた。グランドピアノが夕陽に照らされていた。

休日を狙って校長室を開けた。怖くて中には入れなかった。

秋になると屋上を開けた。プールサイドで読書をした。

 

きっと、悪いことに使おうと思えば色んなことができたと思う。女子更衣室の盗聴とか。職員室の答案を盗むとか。そんな度胸はなかったけれど、僕はこの鍵の存在で、きっと生徒の誰よりも「自由」だった。その自由に、僕は何度も救われた。

 

時が経って、卒業が近づいて、僕はこの鍵を後輩に引き継ぐことにした。彼らも賛同した。この鍵はこの先ずっと、生徒たちの手の中に、隠密に、引き継がれるべきだと思った。僕にとってそうだったように、この鍵が誰かの救いになると思った。

信頼していた後輩に全てを伝え、鍵を渡すと驚いた顔をしたが、その目はキラキラしていた。彼もまた、この鍵を誰かに引き継いでいく。僕は偉大な歴史の一部を担ったみたいに、誇らしかった。

 

あれからもう、10年以上の年月が過ぎた。無邪気だった頃の僕はどこへやら、ありきたりで特に面白みもない日々を過ごしている。特別だった頃の僕はもういない。誰にでもできそうな仕事を、誰にでもできそうな手順でこなし、誰にでもよくあるような愚痴をこぼして、そして繰り返す。

そういえば今朝、ネットニュースに母校が載っていた。

 

「○○○○○○○○校2年女子生徒、屋上から飛び降り自殺か。女子生徒は病院に搬送されたが間もなく死亡が確認された。学校関係者の話によると、屋上は普段施錠されており生徒が出入りすることはできないという」

 

 

 

 

前澤友作はお金と知名度で命を弄んでいる

今朝方、こんなツイートが流れてきました。

https://twitter.com/yousuck2020/status/1084298034870026240?s=21

f:id:Matsuwo:20190114131336j:image

私はこれを見て、本当に嫌な気持ちになりました。こんなに嫌な気持ちになったのは、村本大輔のツイート以来です。

http://matsuwo.hatenablog.com/entry/2017/10/24/213448

どうしてこんな嫌な気持ちになったのか、しっかり言語化しておきたいと思いこの記事を書いています。

結論としては、私は前澤友作のツイートを見て、人の命が弄ばれていると感じました。

「皆さんのRT1件につき10円を付け加え寄付します」

この言葉は、この行為は、あまりに命を軽んじています。大衆の憐憫や同情を餌に、情報を拡散させようとするやり方が吐き気を催すほどいやらしく見えました。

それと同時に、お金と知名度のある人間に目を付けてもらえることで、救われる命と、救われない命が決まってしまうということ。命の重さに大小なんてないのに、ほんの少しのきっかけで救われたり、救われなかったりする。こんな風に人の命が、人の手のひらの上で転がされていることに、これ以上ないくらいの不快感を覚えたのです。

 

言いたかったことは以上のとおりなのであとの文章は読み飛ばして頂いてもよいのですが、リプライ欄を読んだりして思ったことをせっかくなので書き残しておきます。

 

お金の使い方は持ち主の自由だけれど

ツイートのリプライ欄を読んでいると、下記のような論議がなされています。

  • せっかくなら財団を設立したり、もっと有意なお金の使い方がある
  • 他にも助けを待っている命があるのに、その命にだけ救いの手が差し伸べられるのは不公平だ
  • そのお金は前澤友作の持ち物なのだから、使い道は自由である
  • お金持ちといえど、そのお金は有限なのだから、全ての人に手を差し伸べられる訳ではない

どの意見も、正しい、と感じました。お金の使い方について意見を述べているものはたしかに理想論で間違っていないけれど、有限のお金の中で何をなすかはその人の自由です。救われる命と救われない命の不公平を感じるのも正直な気持ちですし、だからといって誰も彼もを救おうというのは無理な話です。

正直なところ、私は前澤友作が自身のお金をどのように使おうが何も思いません。それがスポーツカーのためであろうと、彼女とのホテル代であろうと、風俗であろうと、不動産であろうと、困っている人への寄付であろうと、彼の勝手です。

でも、そのお金の使い道を他人に豪語するのは傲慢な行為だと、私は思います。特に、寄付というのはとてもセンシティブな行為で、他人にひけらかしたりするべきではないと考えています。例えば、街角で、周囲に一万円札を見せびらかしてから募金箱に入れることがあるでしょうか。寄付という行為はその金額の大小で評価されるべきものではないし、個々人の裁量によって静かに行われるべきものだと思います。(この辺りは、有名なYouTuberが寄付した動画をアップして評価されていたりするので、私の感覚が古いのかもしれません)

少なくとも、今回の件のようにRT数に応じて寄付額を増やしますという宣言は、スポーツカーを自慢されるよりもよっぽど不快なものがあります。前澤友作という人は、その命のために自身がどれだけの寄付を行いたいかという明確な意思などなく、情報の拡散のためにお金を利用しているだけのように思えるのです。

 

RT1件につき10円、というやり方だからこそ

リプライ欄を見ていると、RT1件につき10円、という方法で見事に多くの人々に問題提起ができたのだ、という擁護の声があります。これにも、首を傾げざるを得ません。いくらなんでも好意的に捉えようとし過ぎではありませんか。

現在でもすでに40万件以上のRTがあり、たしかにこのやり方だからこその数字だと考えられます。しかし、果たしてこのやり方が本当の意味での問題提起になっているでしょうか。私はこのRT1件につき10円という響きに、100名様に100万円を現金でプレゼントします、と同じものを感じました。実際に、上記の募金のためのツイートに付される文章がRT1件につき10円であっても、100名様に100万円であっても、なんら変わりはなかったように思います。私には、寄付を呼びかける前澤友作のツイートが、お年玉プレゼントのツイートと全く同じ遊び心だけで行われているように見えて仕方がありません。

心臓移植とその寄付、命のこと。これらの話は、こんな軽い言葉で扱われて良いものだとは思えません。

「この件に心を痛め、寄付をしました。皆さんも情報の拡散、寄付にお力添えください」

たったこれだけの言葉で良かったのではないでしょうか。真摯さを欠いた情報の拡散で、果たしてどれだけの方にしっかりと問題提起ができるのでしょうか。申し訳ありませんが、私は前澤友作のツイートを見て心も痛めませんでしたし、力を貸したいとも思うことはできませんでした。

 

心臓移植の問題について

この問題について、私は正直あまり知識がありません。誤ったことを書いていたらご指摘頂ければと思います。

 

簡単に言うと、心臓移植とは末期の心疾患で代替治療の方法がない患者さんを、脳死状態の臓器提供者の健康な心臓を以って治療することです。

日本においても1997年に臓器移植法が施行され、脳死後の臓器の提供が可能となりました。2010年には改正されたものが施行され、本人の意思が不明であっても家族の承諾で提供することが可能となりました。また、この時15歳未満の臓器提供も可能となりました。

ただ、残念ながら日本のドナー提供者は他国と比べるとかなり少ない、というのが現状のようです。したがって、臓器提供が必要となる少なくない患者さんが、治療を受けることができないでいます。そのため海外で治療を受けるという選択肢を取ることになるのですが、かなりのお金が必要となるようです。

今回前澤友作が取り上げた件は、心臓移植を余儀なくされたとある子どもが日本では治療を受けられず、海外で治療を行うために寄付を呼びかけているものです。気にかけられた方は、寄付を行うと良いと思います。

https://www.genki-o-chan.com

 

醜い部分を曝け出すと、私には、この子が救われるべきかどうか、答えを出すことができません。そもそも、救うとか救わないとか、おこがましいとすら思ってしまいます。私には、この子に手を差し伸べるための明確な理由がありません。3億5千万円という途方もないお金が、なぜこの子のために集められなければならないのかが分かりません。そのお金が、果たして最後には誰の喉を潤すのかも知りません。どれだけの同情を勝ち取れたか、そのためにパフォーマンスできたか、そういった密かな争いの果てに、私はこの子のことを知ったのでしょう。それはおそらく、前澤友作にしても同じことだと思います。同情を勝ち取ることで救われる、お金を集めたものが助かる。それを否定することも、ましてや馬鹿にすることなどできるはずもありませんが、どこかで違和感を覚えてしまう理由について、私はまだ答えを出せずにいます。

 

落書きにかっこいいタイトル付けて芸術にしよう

お久しぶりです、まつをです!

すっかり秋も過ぎ去りそうな寒い日が続いていますが、今日は芸術の秋がテーマです。

 

私は幼い頃から、美術大学を出ていた父に誘われよく美術館や展示会に行ったものでした。一枚一枚の絵とじーっと向き合い、離れたり、近づいたり。想像を膨らませて絵を見るのが今でもとても好きです。

 

ところがどっこい!

好きとはいうものの、私には絵の良し悪しがさっぱり分かりません。好き嫌いはあるのですが…。特に、抽象的な絵になってくるといつもの楽しみである想像を膨らませることもできなくなってしまいます。私のひ弱な想像力では、とても抽象画に太刀打ちできない…

 

しかし、そんな私にも救いの手が!

そうです、タイトルです。難解な絵でも、タイトルがあるだけでだいぶ印象が変わります。ふむふむ、タイトルは『眠る女の子』かあ。あ〜なるほど!この丸は人の頭かな?そしたらこのお山はおっぱいだ!!

と言った具合に、タイトルは私の絵の理解の助けとなってくれます。(タイトルがあることで、逆に観る人の自由な感じ方を奪ってしまうこともありますが…)

 

そこで私は考えました。逆説的に、それっぽいタイトルを付ければ適当な落書きも芸術作品になってしまうのでは!?

 

と言ったわけで、今日は私が適当に描いた落書きにかっこいいタイトルをつけて紹介していきたいと思います。

 

1.「〜、あるいは〜」

はい、それでは最初の作品です。

 

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『熟れたトマト、あるいは命の象徴』

 

か〜っ!!かっこいい!!!

 

最初はなんだこれと思った皆さん、いかがですか。タイトルを見た途端にぐっと来ませんか?来ませんね?そうですか。

 

私はこの「〜、あるいは〜」というタイトルが下半身が濡れるくらい好きです。え、結局どっちなん?その二つ全然ちがない?あれ???みたいな気持ちになってパラサイト・イヴになってしまいますね。

 

2.羅列

続いてはこちらの作品です。

 

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『静寂、夜更け、後悔』

 

か〜っ!!おしゃれ!!!

 

それっぽい単語を適当に羅列するだけで何故だか雰囲気が出てしまうこの手法。私の大好きなART-SCHOOLというバンドも歌詞でよく使っています。「夕陽、ポプラ、テニスコート」とか「売春婦、レプタイル、11月の祈り」とか。このよくわからんけどなんか分かる感がめちゃくちゃ良いですよね。言葉と言葉の隙間を埋めるように想像力が刺激されますし、例えるならえっちなシーンだけ切り取って繋げたAVのサンプル動画みたいなものでしょうか。

 

3.ジブリ

どんどん行きましょう。次の作品はこちら。

 

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『庭園の親子の戯れ』

 

あ〜っ!!風の谷のナウシカ!!!

 

ジブリタイトルで「の」が使われるとヒット作になるという都市伝説がありますが、「〜の〜」と繋げると俄然タイトルっぽくなります。

 

意味合いとしては『庭園で戯れる親子』でもよいわけですが、『庭園の親子の戯れ』の方がタイトルとしてがつんと来ませんか?来ませんね?そうですか。

 

ちなみに私は千と千尋の神隠しが好きです。

 

4.Untitled

最後はこちらの作品。

 

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『無題』

 

で、でた〜〜!無題!!どう見てもおまんこじゃん!!!

 

定番も定番、『無題』ですね。もうこれ、タイトルだけで今夜はアダルトサイト巡りをしなくても良いくらいのおかずになります。字面から音の響きから何から何までかっこいい。私も下の名前は無題が良かったです。松尾無題。

 

『無題』の良いところは観る人の想像の余地を奪わないところにもあるのですが、その上作者の「この絵には意味なんかないんだよ」みたいな斜に構えたメッセージも読み取れて胸がずきゅぅぅうんなりますね。どう見てもおまんこなんですけど。

 

おわりに

お付き合い頂きましてありがとうございました。いかがでしたか?適当な落書きでもそれっぽいタイトルをつけるとそれっぽい感じに見えてきますよね。余談ですが、今回の落書きは全てiPhoneのメモ帳で書きました。メモ帳はお絵かきもできて便利ですね。電車の中でおまんこ描いてるときはドキドキしておちんぽがボキボキしました。

 

タイトルがどうのこうのとお話ししてきましたが、絵を見るときに一番楽しいのはその絵が何を訴えかけてくるのか、自分自身が何を感じるのか、と向き合うことだと思います。芸術の秋、たまには美術館に足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

抽象画入門: 視点が変わる気付きのテクニック

抽象画入門: 視点が変わる気付きのテクニック

 

 

 

ストレス軽減のためのライフハック

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はじめに

みなさん趣味はありますか。衣食住を満たすことで人は生きていけますが、それを叶えるにはあまりにもたくさんのストレスが待ち受けています。そこで趣味です。このストレスを軽減する方法を見つければ毎日がずっと楽になります。しかし、近頃の若者にお話を聞くと「私、無趣味なんです」という方がとっても多いんですね。それではこの先、どこかで生きることが辛くなって耐えきれなくなり、夜の公園でオナニーに勤しむような大人になってしまいます。

 

そこで!この記事では私がここ最近ハマっているとある趣味を紹介します。私はこの趣味を始めてからおっぱいがワンカップ大きくなりました。それでは…

 

まず、女子高生になりましょう。

 

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………………

 

………………

ぼくは〇〇高校の女子生徒!学年は2年生!先輩も後輩も大好きな女バレ部員!

 

あーあ、月曜はいっつも練習が長引いちゃう。帰りの電車の中、徐ろにTwitterを開いて…

 

  • 特定の高校名でリストを作成しましょう
  • その高校の女子生徒のアカウントを探しましょう
  • 特定の高校名で検索しましょう
  • 高校名では中々ヒットしない場合「女バレ」のような部活キーワードを駆使しましょう
  • 1人見つけたら、そのアカウントのフォロー、フォロワーからクラスメイトや先輩後輩を探しましょう
  • 見つけた同校の女子生徒を片っ端からリストに登録しましょう

 

はい!これであなたも立派な女子高生です!

リストをご覧ください。そこには疑う余地のない女子高生たちの日常が流れています。

 

あ、りさちゃん今日はヤバTのライブ見に行ってるんだ〜。かおり先輩は部活後に塾かあ、受験生だもんね…そうだ明日英語の小テストだった!ゆらちゃんありがとっ!

 

少女たちの無垢なエネルギーやざらついた悪意や眩しい笑顔を眺めていると自然と生きる元気が湧いてきます。生と性の力が満ち満ちて家に着いたあと見ず知らずのゆらちゃんで抜きます。ああ!ゆらちゃんっ!

 

いけません。僕は女子高生…クラスメイトで抜くなんて…いや…これはもはや…

 

 

百合。

 

初めのうちはそんな風に、女子高生の生活を覗き見ているような背徳感が身体にまとわりつき続けます。しかし、1ヶ月ほど続けていると突然心に変化が訪れます。

 

通勤時間に女子高生のタイムラインを眺める行為を続けているうちに、だんだんと自分が女子高生であることを疑わなくなります。朝、何度か女性専用車両に乗り間違えそうになって、事の深刻さを思い知ります。

 

しかしもう手遅れ。あなたは女子高生になってしまったのです。

 

土日になるとタイムラインの流れが緩やかになってしまい、寂しくなって高校へ足を運びます。見慣れた校舎。砂埃のひどいグラウンド。体育館から響くかおり先輩のハキハキした号令。吹奏楽部のゆきちゃんとさやかちゃんが校門を出ていくので、その5mくらい後ろを付いていきます。駅で手を振って別れた後、胸がぎゅっと締め付けられるような切なさに襲われます。早く月曜日が来ないかな…みんなに会いたいな…

 

はいこれ!

友達に会いたくて月曜が待ちきれない女子高生のそれ!

 

こうなってしまえばもう怖いものはありません。あんなに嫌だった月曜日が待ち遠しいなんて。(ただし警察が怖い)

 

若い子達のキラキラにあてられて、いつのまにかあなたも女子高生のビラビラなど気にもせず、健やかな毎日を過ごし始めているのです。また、大人になると流行りに疎くなってしまいがちですが、女子高生の日常と触れ合う事でとても流行りに敏感になります。ああ、今こんなバンドが売れてるんだ。どれどれこの漫画が面白いのか。ふんふん今年の洋服のトレンドはこれだよね〜。

 

新しいものを取り込むということ、それも無意識のうちに新しいものに自然と触れ合う環境に身を置くことが、こんなにも健やかな心を育てるなんて。この頃からぼくはブラジャーを通販で買うようになっていました。

 

季節にも敏感になります。6月には体育祭を見に行き、8月は海で遊ぶみんなのアイスクリームを食べる姿にフェラチオを重ね、9月に部活を引退した先輩たちにプレゼントを渡し、12月にはクリスマスやバレンタインに向けた恋バナに花を咲かせ、2月はりさちゃんが作った雪だるまを探し出して精液をかけ、そして…

 

別れの季節。

 

かおり先輩の卒業姿を見てグジュグジュに涙を流しながらぼくは、ぼくは…

 

そっとリストからかおり先輩を外した。

 

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………………

 

でもだいじょーぶ!次は1年生が入ってくるよ!(^_^)

 

 

 

あと1年の高校生活を今は毎日毎日噛み締めなが暮らしています。来年卒業したら、次はまた別の高校に入学しようと思います。

 

 

【松尾芭蕉】引退緊急インタビュー

2018年5月14日。突然の引退宣言を行った俳性、松尾 芭蕉 (@MatsuwoBaseu) | Twitter。惜しまれながらも引退した彼に緊急インタビューを行った。

 

「次の千句を、詠める気がしなかった」

 - まず、2014年末から約3年間半の活動、お疲れ様でした。

松尾:ありがとうございます。

 - 率直に、今の心境は。

松尾:今は…やりきった、と思っていますね。

 - 惜しまれる声も多く見られました。

松尾:申し訳ない気持ちもありつつ、感謝の気持ちが強いです。皆さんのお陰でここまで続けてこられました。

 - 引退のきっかけはなんだったのでしょう。

松尾:色々とあるのですが、1,000作品目という大台が見えてきたときに、もう次の千句を、詠める気がしなかったんです。キリも良かったのでここで終わりにしようと、そう思いました。

 - 最後の作品にはどんな想いを。

松尾:特にコメントはありません。

 

「そのうちアカウントも削除しようと思って」

 - 過去にも引退宣言がありました。今回もやめるやめる詐欺だろうとの声もありますが。

松尾:今回は、本当にこれで。終わりです。

 - もう一句を詠むことはないと。

松尾:正直に言えば、一句を詠むことはもうほとんど無意識のうちに行われていて。なので、どこかで歌を詠むことはあるかもしれません。ただ、松尾芭蕉としての活動は終わりです。

 - 要するに、松尾芭蕉としてはもう一句を詠まないということですか。

松尾:そうですね。そのうちアカウントも削除しようと思っています。

 - そうなんですか!

松尾:Twitterって過去の投稿を遡りづらいんですよね。作品以外のツイートは全部ツイ消ししているんですが、初期の作品なんかもう自分でも見に行けなくって。作品自体には思い入れがあるので、何か別の形で残せたらと考えています。

 - その構想もすでにあるのでしょうか。

松尾:いえ、今は特に何も。

 

「たぶん、キモすぎたんだろうな、と」

 - アカウントが消えてしまうのは寂しいですね。以前、アルファツイッタラーになりたい、1万フォロワーも夢じゃない、といった発言もありました。

松尾:結果的には、夢は夢のまま、でしたね。

 - どんな努力をされていたんですか。

松尾:作品の質はもちろん、バズっているツイートに便乗したり、トレンド取り込んだり、リクエストに応えたり。結構汚い手も使っていました。

 - 周囲からの期待もあったと思います。叶えられなかった理由に、何か心当たりはありますか。

松尾:それは自分でもよく考えるんですけど…たぶん、キモすぎたんだろうな、と思います。

 - キモすぎて広く受け入れてもらえなかった、と。

松尾:知人にリムーブされたり、はよくありましたし、きっと多くの方はリムーブせずともミュートしているのかなって。悲しいですけど、たぶんこれが現実で。

 - 最も伸びた作品も、150いいね止まりだったんですね。

松尾:ダサいですよね(笑)。これが私の実力だった、ということです。

 

「この作品は、他に詠める人はいなかった」

 - 長い活動のなか、一番辛かったことはなんでしょう。

松尾:575調の、バズっているツイートですね。なんで私は、なんでこの作品が。そんな醜い羨望が溢れかえってしまうことが何度かありました。

 - 逆に嬉しかったことは。

松尾:コメントをもらえたこと、ですね。そもそも誰が見てくれているんだか分からない状況で、コメントをもらえるのは本当に嬉しかったです。

 - 1,000もの作品があるわけですが、お気に入りの作品はありますか。

松尾:たくさんあります。中でも「ワレワレハ ワレメナメナメ ハメハメダ」という宇宙人の一句。この作品は、他に詠める人はいなかった、私だけが生み出すことのできた作品だと今でも思っています。

 - 今後は何か別の活動をされるのでしょうか。

松尾:今は本当に何も考えられなくって。この茶番みたいな自問自答インタビューを書くのが精一杯ですね。

 - なるほど。最後に、応援していた皆さんに何かありますか。

松尾:最後はやはり一句で締めましょう。

ロリ巨乳 パイパンクンニ 夢の味

 - ありがとうございました。

松尾:ありがとうございました。

 

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)は、平成の俳性。Twitter出身。恥語を駆使して色欲を詠む新たな歌詠みを確立。作品「奥の細い膣」はたった一部のみの発刊。幻の作品となっている。

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ラッパのこと

ラッパを吹かなくなって、かれこれ二年間が経つ。先日見たとき、ケースは埃を被るどころかカビていて開けようとも思えなかった。

ラッパとは言わずもがな、トランペットのことだ。そしてそれは、僕にとって今やほとんどトラウマそのものだったりする。

中学生になる頃、僕の中では空前のギターブームが来ていた。絶対に軽音楽部に入ろうと思っていて、学校を選ぶ時も軽音楽部があることを決め手にしていたくらいだった。通っていた中高一貫校には中庭のようなものがあって、入学して間もない頃にそこで軽音楽部(正しくは軽音楽研究会だった)の新歓ライブが催されたのだが、あの時の衝撃は今でも忘れられない。僕の知っている軽音楽とは多くてもせいぜい5, 6人体制だったのだけれど、なんと十数名がぞろぞろと出てくるのである。あろうことか、そのうちの半数以上が管楽器を持っている。なんだこれは、と思ったのもつかの間、演奏される曲にあっという間に魅了されてしまった。聴いたことも無いような曲なのに、心が踊った。

あとから、それがビッグバンドジャズと呼ばれるものだと知った。

ライブ後、この学校の軽音が僕の知っている軽音ではないことを理解したにも関わらず、僕は軽音に入ることをより固く決心した。もちろんギター志望で行ったのだが、人員の関係などなどからラッパを吹くことになった。そのこと自体は、自分の中で案外に容易く折り合いをつけられた。というのも、ライブでより魅了的だったのはどちらかというと管楽器隊だったからだ。

それから六年間、平日のほとんど毎日ラッパを吹いていた。訳あって最初の一年間はあまり顔を出せなかったから、低く見積もると五年間くらいになるかもしれない。それでも僕にとって軽音とは中高時代そのもの、と言っても過言ではない。つまらない言葉で表せば、楽しい思い出も嫌な思い出も、ほとんど軽音にまつわることだったりする。

そして、嫌な思い出というのは、年月が経ってもなかなか褪せてはくれない。

高学年になるにつれて、ラッパ隊の高音パート、つまりは主旋律を任されることが多くなった。ラッパを吹いたことがある人なら分かるかもしれないが、高い音を吹くというのは結構難しい。上級者であれば話は違うのだろうけれど、その日の調子、コンディションに左右されてうまく吹けなくなってしまったりする。力んでいたりすると、途端に鳴らなくなる。

僕は、演奏会に調子を合わせることがうんとダメだった。そもそもあがり症で、練習ではできることが本番ではできなくなる。緊張からくる身体の硬直で楽器が鳴らなくなってしまう。手先は冷たくなって指が回らなくなる。加えて、口唇ヘルペス持ちのため、本番近く練習が佳境に入ってくると疲れから唇に水ぶくれができる。これができるとちっとも唇が震えなくなり、高音どころかチューニングの音すら吹けなくなってしまう。

分かっている。他人から言わせればそれは、単に練習不足、体調管理不足だ。お前の自業自得なのだ。

主旋律を任されることが多くなってからも、これは治らなかった。主旋律の無い音楽は最悪だ。僕ひとりが吹けないことで、みんなが心身削って作り上げて来た演奏会を駄目にする。僕のせいで、みんなが嫌な思いをする。それは、自業自得と分かっていても、この上ない苦痛だった。

大学に入ってからビッグバンドジャズはやめて、少人数のコンボ編成のジャズを演奏するサークルに入った。ビッグバンドジャズとは異なりアドリブがメインになるコンボ編成のジャズは、自分にとって憧れだった。アドリブで頭の中に鳴っている音を自在に演奏できたら楽しいだろうなあ、と思っていた。

でも、ジャズは自分が思っていたよりずっと難しかった。ビッグバンドジャズをやっていた六年間、譜面に起こされた音符を追っていただけの僕はほとんど素人みたいなものだった。慣れないアドリブを、下手くそなラッパで吹けるはずがなかった。

少人数で演奏するジャズは、否が応でも周りのレベルが目に見えてしまう。同期にも先輩にもすごい人がたくさんいた。周りからもっと学んで、積極的に参加していれば憧れに近づけたのかもしれない。どうしてか、僕はその憧れを自身の活力に変えることができなかった。

どうして自分は頑張れないんだろう。自分はラッパもジャズも、実は好きではないんじゃないか。そんなことを考えているうちに、ラッパを吹かなくなり、ジャズも聴かなくなった。

ラッパを吹いていた。ジャズをやっていた。他人にこの話をするとき、自分を大きく見せてしまったようなバツの悪さを感じる。ラッパを吹いていた十年間は、楽しかった思い出だけがどんどん蒸発してしまって、暗い思い出だけが重みを増していく。

今朝も、ラッパを吹く夢を見た。舞台の上に立って、必死になって息を吹きこんで、それなのに音が鳴らせない夢だった。一、二ヶ月に一度こんな夢を見る。

辛くなるだけだからもうラッパのこともジャズのことも考えたくない。そう思うのに、喫茶店やレストランでふと聞きなじみのあるジャズの曲が流れたとき、楽器屋でトランペットを見たとき、とくんと胸が跳ね上がってしまって、やりようのない寂しさを感じたりするのだった。


p.s. 定期演奏会、行かなくてごめんなさい

enq初MV「ネクロポリスの残香」

本業は何なんですか?とよく尋ねられるのですが、バンドマンです。副業で俳句を詠んだりします。松尾芭蕉です。

enq というバンドで初のミュージックビデオを作りました。

【enq初MV「ネクロポリスの残香」】
【MV】ネクロポリスの残香 / enq - YouTube

これがバンドにとって何か良いキッカケになって欲しいと切に願っています。TwitterリツイートでもFacebookのシェアでも口コミでもなんでも良いです。とにかく多くの人に、届け、届け、という想いでいます。


私は個人で俳句を詠んだり、ソロ名義のstudio molで楽曲公開をしていたりしますが、実のところそれら全てが売名行為です。なんとか目に留まれたら、バンドのことも知ってもらえるんじゃないか。ソロ曲で面白がってもらえたら、バンドも聴いてみてもらえるんじゃないか。そんなずるいことをいつも考えています。

私も、そしてバンドも、自分たち自身のために楽曲を作って演奏しています。でもそれが、不意に誰かの心を揺らしてしまう瞬間を信じていたりして、だからこそ音楽を続けています。こうしてミュージックビデオを公開するのもそのためです。

例えばあなたのTwitterアカウントのフォロワーが100人だとして、あなたがこのミュージックビデオに言及してくれたら、100人の目に留まる可能性があります。その中のフォロワー100人の10人がリツイートしてくれたら、1,000人に見てもらえる可能性があります。それがさらに続いたら。そんな奇跡みたいなことを信じています。そして、それを叶えられるのはあなたです。

もちろん、この曲が少しもあなたの心に響かなければ無視して頂いて良いのです。ただ、少しでも何か感じるところがあったのなら、どうか、私たちに夢を見させてもらえないでしょうか。

最後に改めてミュージックビデオを載せておきます。enqというバンドを、宜しくお願い致します。

【enq初MV「ネクロポリスの残香」】
【MV】ネクロポリスの残香 / enq - YouTube